今日も生きてる

インターネットについて考える。


チョコラさんmixi日記は友人のみ公開なので、ざっくばらんにまずこのオフレポの内容を説明してみる。
一応ネット慣れしてない友だちにも分かるように解説すると、わりと利用者同士が仲良くなりやすい作りのはてなというサイトがここであって、それが縁で出会ったチョコラさんの仲間内でカップルが生まれて、結婚が決まって、お祝いするためにあの手この手でメチャクチャ手の込んだサプライズパーティをそのはてな勢で仕込んで、参加者全員大感動で大団円であった、というオフ会のレポート。

それを私は読んで、他人事ながらも、本当にすばらしい模様として心に染みたわけです。話者のチョコラさん自身も今回の新郎新婦と同じく、今の旦那様とネットで出会い、さらに同じく遠距離恋愛を経てのご結婚、今や自他ともに認めるアツアツオタカップルであるからして、その感動もひとしお加減が非常に鮮やかに伝わってくるのでありました。

世間でネット批判とかする人たちいるじゃない、いっぱい。わたし昔っからアニメとかゲームとかも全部一通りはまってるし、そのテの批判にはやっぱり哀しくなったり憤ったりすることあって。映画が生まれた時も、電話が生まれた時も同様の悪影響うんぬんって話あったわけだし、一種の人間の傾向として仕方のないことというのは分かるけど。

世代差みたいな意味でいったら古代エジプトの遺跡に「いまどきの若いもんはなってない」って書いてあったのは有名な話で、それって人類は創始以来「いまどきの若いもんは」って言い続けてるってことで、ダメな若者、ダメな子供というのは終わり無く、実の無い比較論であって、そういうこと言う人には、あえて何時何分地球が何回回ったトキ人類が最もイカしてたんですかぁー?って小学生論理を叩き付けたいと思う。

たとえば、歴史を学ぶ人間として声を大にしていいたいのは、今程メディアの流通がよくないから昔はオカシイ人やオカシイ事件とかが埋もれてただけで、人間の危うさみたいなものはずっと前からそんなに変わってないと思う、というのが私感。

まあ生死感とかゆらいでるのは現実に生命の危険度とかが変わって来てるのも大きいと思うけど、安吾の戦争体験の話とか読むと、やっぱりあの直中であれだけ死と隣り合わせであるというのに、生死とかむしろリアルじゃなくなって、まるで砲弾が花火のようで、人々の顔はお祭りのように恍惚としており、一種その非日常を楽しんでいるようだった、みたいな話もあったし、人間がワケわかんなくなるのっていつの時代であれ、とっかかりがなんであれ、もっと容易いことなんじゃないかな。

あと前にオタク擁護の日記でも書いたけど、「モラル発信基地みたいなヒトタチさあ、サドやマゾッホの文学は今や古典として認められ、少年愛好者でテニスゲームでキレて人殺したカラヴァッジオは宗教画の巨匠で、ダ・ヴィンチミケランジェロもヒトの死体勝手に掘りおこしていじくったりしてたんですけど、でも今は皆オッケーむしろ尊敬ってことは、それって時間が経ちゃあいいってことなんですかあー?物事自体は変わってないのに?」って私はむかッパラ立つわけ。人間ってみんなが皆そんなまっとうなもの?あー?あー?あんた方はそんなに清廉潔白でご立派なわけ?ってさ。

そんで世間サマがとやかく言うのは無責任にムカつけるからいいんだけど、
(某日のある人とのチャットログより、話者は全て私で↓)
「昨日人と話してたら、その人ってすごく健全な人で、
健全というか・・・ナチュラリスト?ネットとかアニメとかゲームとか全く通ってない人で、そういうのを「怖い」っていうんだよね。
で、私は、そういうこと簡単に言わないで、と思って、やや勝ちに行く議論調の語り口になっちゃったんだけど、絶対やっぱり分かってもらえなくて、私も頭悪くてうまく説明できないし、ちょっと悲しい気持ちになって寝ました。
簡単に、意味分からないという理由で、意味わからないものを、怖いとかいって欲しくない・・自分の好きなことで、自分の好きな人なら尚更。」
(中略)
「人間だからしょうがない。色々人間だからしょうがない。自分だって狭いところはあるだろうよと思うしね。」

こういうことあると、ズゴーンときちゃう。理論武装で勝つことと、心分かち合うことは違うじゃない。それで分かり合えないからって何かがダメになるほどこだわってるわけじゃないんだけどね。人それぞれっていうポリシーの方が大事だし、怖いっていうヒトの感情も分かるから。でもやっぱズゴーンときて、ブクブク泡吹いちゃう。

私は今までとっても素敵な思いをインターネットでしてきましたよ!そしてこれからもしていきますよ!(勿論文学や美術や映画と同じようにスンバらしいゲームにもアニメにも出会って来たよ!)

それでなにがって、
随分長く前フリと間が開いちゃったけど、インターネットで悪影響がどうのとか言ってるアホはチョコラさんたちの素敵で幸せでうつくしい「現実」のお話でも読めばいいんだと思った。この場合チョコラさんの日記は非公開だから、あくまで私にこのような文章を書くに至らしめたものだったとしか言えないんだけど、事実並べただけでもまあ伝わるでしょう、ということを願って。
あと、いい話なんて別に、他にもいっぱいあるしね。「フツー」の「オフライン」と一緒でさ。

今ここに生きているわたしたちはリアルに存在していて、リアルに言葉を、思いを、交わし合っているじゃあないですか。言葉をバカにすんだったらオメーもう本とかも一切合切全部否定してみろよ、文芸全部否定してみろよ、出来ねーだろ、みたいな。
ここには「現実」と同じように痛みがあり、喜びがあるじゃないですか。
勿論会って目を見て話すこととは違うってのは分かってるけど、なんつーか、このへんうまく感覚を差異化して言えないんだけど、それはあくまで、両想いだけどまだつき合ってないカップルと、もうつき合ってて性関係があるカップルとか(すみません、他にいい表現が思いつかなくて!)の違いくらいのもんだと思う。

結局、うまく言いたい事言い切れてるかわかんないなあ。これも一つのちゃんとしたコミュニケーションに決まってんじゃんとかそういうことが言いたいんだと思う。
とりあえず、チョコラさん大好き。まったくやじうまの股友ってやつの私が言うのもなんですが、新婚さんのご夫婦お二人におかれましては、この度は誠におめでとうございました。