今日も生きてる

わたしが最も無くなったら悲しいソーシャルサービスは、はてなです!!!!!


いままで、非アクティブユーザーになった後、サービス終了をあとから知ったサービスならあった(Webカレとか・・・草間くん、ごめん)。
しかし、アクティブユーザーとしてソーシャルサービスの終わりを見届けるのは初めてのことだ。


Wassr
はてなブックマーク - サービス終了のお知らせ - Wassr [お気軽メッセージングハブ・ワッサー]

はてな民のWassr大量流入が起こったのは、ココロ社さんの記事が決定打だったとおもう。
その後多くの人がアクティブでなくなった後も、残留はてな民含む私のWassrタイムラインでは、まだまだ、ゆるやかな与太話がずっと続いていた。なので、このたびのニュースに私周囲のWassr愛好家たちは阿鼻叫喚の反応である。
いろんなことがあった。
はてなだけでは仲良くならなかった人も、Wassrで仲良くなって過去ログ一気読みしたりとか。
プライベートトークで話して、実際会って遊んだりとか。
何しろ、夫とはWassrはてなでぐるぐる交流してるうちに、メル友になって、ごはん食べに行って、付き合って、結婚した。


はてなもいずれこの世からなくなるのだろうか・・・おそらく、すべてのウェブサービスの中で最も喪失感が大きいだろう。
私は、どこでもstilllifeだけど、はてなid:stilllifeだから。
ネット界のホームのようなものだ。
gmailでさえ代わりはある。
twitterがなくてもfacebookがなくても、これらがなくなる時には、また何か別の便利なものが出来ているだろう。
はてなには、便利さ以上の価値が自分にはあって、それは、アイデンティティーと帰属を感じることだ。
ブクマ以外は使用頻度が落ちてしまった自分がいう立場じゃないかもしれないけど、なくなったら悲しい。

とりあえず、「ダイアリー」はなくなるかもしれないよね・・・いつか強制ブログ移行の日が。それだけでも、結構かなしいな。


追記:自分は寄付金とか有料会員とかガンガンお金払うほうなので、日記を更新するたび、躊躇なくはてなダイアリープラスにしてるんですが、http://d.hatena.ne.jp/roku666/20120801/p1こういうのを見ると、残念だなーと思う。自分にとってはてな始めたきっかけは、「○○さんも××さんもやってるから」っていう属人性の魅力だった。古参の人を大事にし、彼らに見捨てられないはてなであって欲しい・・・。

けっこんしました

id:ほげほげと結婚しました。ほげほげの部分は、本人の掲載許可をまだ得ていません。

新居ダイニング用の椅子に、床傷つけ防止のチェアソックスをはかせる時、
(こういうやつ)
夫が「わぁー!」と大仰な声をだすので、何かと思えば、椅子に向かって「この子..!思ったより足太い!靴下はいらないかも..」と言ってました。しかし、なんとか入ったので、「靴下はかせ名人のおれにまかせろ!」とか言ってました。
うまく伝わらないとおもいますが、そういうリアクションの感じとか、とても好きです。
靴下はかせ名人と結婚してよかったです。

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TBSラジオ 文化系トークラジオ Life 西海岸特集に出演しました


以前も観覧席から発言したことはありますが、初めて出演者席に座り、ちょこちょこ話しました。写真もどーんと出ましたよー。
正式にゲストで呼ばれたわけじゃないんですが、特集が西海岸だったんで出番がありました。2008年からリスナーとして観覧に来てることを思うと感慨深いですね。
http://www.tbsradio.jp/life/20120226/

もしもし、銀河通信、とどきましたか

どうも、stilllifeの人です。

お久しぶりです。
あまりにも書いてないので、(あまりそういう人はいないかもしれませんが)もしも、私の近況をここでしか知る由もなく、その上すこしでも気にかけていた、そんな人が一応いるとして、近況報告からいたしましょう。

  1. 2010年にアメリカから帰国
  2. 落語映像管理というふしぎジョブを1年する
  3. 2011年1月、契約が終わって無職→就職活動
  4. 2011年6月、翻訳の会社にひろってもらう
  5. 2012年1月現在も同じ会社で翻訳の仕事をしています
  6. お互い仕事のメドが立ったので、エビの人と結婚する予定があります


やったー! 初めての社会人です。
無職&就職活動が心底つらかったので、仕事がある、お金をもらえるということが有り難いです。
しかもね、うちの会社の翻訳仕事は、主に、ゲームテキストの翻訳なのです。
ゲーム仕事とても楽しいです。
私生活でもゲーマーライフを復活し、ほぼ毎日ゲームをしています(特に、ひたすらダークソウルを/100時間以上やってもクリアできてないんすけど/PSN ID: stilllife_em/Steam ID: stilllife_em)。


少し話しは変わりますが、ある時期ネットでやりとりしていても、なんらかの理由でそのコミュニティからフッと消えていなくなってしまって、連絡とれなくなっちゃう人っているじゃないですか。
長くネットやってる人なら、そういうの度々あるだろうけど。
そういう人で、ずっと、どうしてるのかなーと気になってる人がいます。でも当然、連絡とりようない。だけど、一つ言えるのは、彼は、よっぽどのことがない限り、今も比較的熱心なゲーマーだということです。
だから、いつ叶うか、いつ叶ったかもわからないけど、私はその人とスタッフロールで再会できたらいいなと思う。この仕事始めた時心に描いた目標のひとつです。


それで、2011年の10月、わたしは幸運にもあるビッグタイトルに名前が載りました。
これ見てもらえてたら、本当にうれしいです。
私はあの時よりもずっとゲームしてますよー!
ゲームしてますかー?


(2012年1月23日追記:そういえば、いまだに私のブログでもっとも人気のある記事は
PORTALケーキを再現しました! - 今日も生きてるなんですけど、じつは恥ずかしながら、この記事書いた時、ゲームのPortalをクリアしてなかったので、ゲーマー復帰してから最初にクリアしました。)

(今更ですが)2010年の映画をふりかえる


今更ですがシリーズその2(次は那須旅行記って書いたけど)
空中キャンプさん主催の「2010年の映画をふりかえる*1」に参加しました。そうして、別途じぶんの方でも、振り返る日記を書くつもりで、半年が過ぎました。無職にして怪我療養中という事態から、お金を節約しているので、ここ2、3ヶ月は映画をスルーしまくっていて哀しいです...。


2010年日本公開映画のなかで、映画館で観たもの一覧:


以下は、アメリカ公開時に映画館で観たが、日本公開年が2010年のもの:


(私は初見だが)リバイバル上映されているのを映画館で観たもの:


はてなで知り合った映画好きの皆さんや、町山さん、宇多丸さんの影響を受け、今まで重かった腰をあげ、映画館へ行くことが増え、良い映画をたくさん観ることができました。


私は移民や亡命、差別や格差に関心が強いので、非常に心に残ったのは、『息もできない』『第9地区』『インビクタス』『プレシャス』です。
空中キャンプさんの「2010年に劇場公開された映画でよかったものを3つ教えてください」でも『息もできない』『第9地区』『インビクタス』を選びました。

『息もできない』は、心に刺さり、忘れられない、観る度に登場人物に恋焦がれ、彼らの幸せを望まずにはいられない映画。『第9地区』は世界観(エビ)が好きになってしまう映画(自分にとっては岩井俊二監督の『スワロウテイル』やゲームの『クーロンズ・ゲート』に似た感覚)。『インビクタス』は、ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩を含め、勇気を出したい時に、「I am the master of my fate:I am the captain of my soul.」という言葉を、噛み締めるように思い出す映画です。
Invictus - Poem That Inspired A Nation
http://www.youtube.com/watch?v=FozhZHuAcCs

『ミルク』のHope演説(http://www.youtube.com/watch?v=Pvfexvihri8
Kite Runner』(原作小説の方/邦題:『君のためなら千回でも』)
と、自分の心の中で、同じ箱にいれている勇気です。

自分は、そもそも『ガンジー』『クンドゥン』『ミルク』など、自由や格差の為に闘っている(闘った)偉人伝記系に昔から弱いです。


さて娯楽作という意味では、『グラインドハウス』、『キック・アス』『十三人の刺客』が良かったなぁー。特に、『グラインドハウス』!ちょっと、これ、人生で初めて映画館でこんなに興奮したよ!!すきなものだけでいいです。文句なし。最近iPhone1台目が壊れてデータ飛ぶまで、ずっと『デス・プルーフ』と『プラネット・テラー』の曲を着信音にしていた。リバイバルじゃなくて、2010年公開映画だったら、空中キャンプランキングでもナンバーワンに入れるとこでした。本当に人生レベルで自分の映画史上に残る傑作でした。


以下、空中キャンプさんに書いたコメントプラスアルファ

一番よかったシーン:
『息もできない』で、怒りと暴力でしか鬱屈を表現出来なかったサンフンが、少女ヨニに寄り添って一緒にただただ泣く場面。今まで「泣くことさえできない」、辛いことを辛いと認識し、泣くという感情表現さえ周囲から許されていなかったサンフンが、初めてヨニの前でなら泣けたということが愛しくも痛ましかったからです。夜、川辺で泣き続ける二人の絵も美しく切ないです。

『プレシャス』のプレシャスも、自分の境遇が「辛い」という言葉・感情を感じる力さえ最初は奪われている、っていうのが物凄く痛々しくも、リアルだなと思いました。それで最後の方で初めて「素直に不平を言う事ができた」姿に彼女の成長と希望を感じ、最初の一歩を踏み出したのだなとグッときました。

シーンじゃないけど、『十三人の刺客』で夜が本当に暗い感じがリアル江戸っぽくて良かった。落語好きとしてはそういうディテール生活感・風俗描写がすごく良かった。お歯黒さんが実際にお歯黒な所とか。


一番よかった役者:
十三人の刺客』でお殿様を演じた稲垣吾郎さんがよかったです。『十三人の刺客』自体、ベストにいれるか迷った候補のひとつである位、とても見応えのある映画でしたが、特に稲垣吾郎さんが、お殿様の育ちの良さ、純粋さ、禍々しさ、賢さ、そして最後の展開に見せる、或る意味でつきぬけた正直 さとも言えるあの反応・・全てを表現しきっていて最高に輝いていました。尾張藩通り抜け御免の場(殿様vs牧野靭負)で、これまた圧倒的な輝きと威圧感と重力を放つ大御所・松本幸四郎と対峙しても、まったくかすんでいないのがすごいです。


総評:
今まで8年間アメリカの郊外に住んでいた私は、アメリカの映画は見放題ですが、今東京で楽しく見ているような、日本を含むアジアやヨーロッパの映画は、大変見にくい状況にありました。

今年から日本に来たら来たで、世界的に評価されているのに、DVDスルーになってしまう映画の存在が問題視されてもいますが、少なくとも東京という世界有数の都市にいるという事は、総合的・相対的に見たらとても広域な文化的アクセス権を持てており、恵まれていると思います。

今年は勉強に追われていた学生の時よりも時間があり、私の人生の中では比較的多めに映画を観た1年でした。観たかったのに見過ごした映画もたくさんありましたが、観た映画の中だけでも、こうして「ベスト決めるの迷っちゃう」と思えているので幸せです。

今更ですが2010年のおでかけ記録(2-7月)

昨年は、8年半ぶりにアメリカから日本へ帰国引っ越しし、1年に及んだ遠距離恋愛が終わり、エビの人ともおでかけが出来る!東京の人たちにも会える!ということで、色々な所へ行きました。現在は仕事探し中なので、なかなか遊びに行ったり出来ませんが、去年一年、満喫したおかげで、今はそんな生活も悪くないと思えます。考えるとニヤニヤできる、いい想い出があるのは大事だなと感じました。


私はどちらかというと極端で、同じ時期に併行して、適度な遊び、適度に勉強/仕事などもがんばり、というより、ドーッと集中して何かに打ち込む日々を過ごす方が性にあってるみたいです。アメリカにいる間も、在学中はとにかく勉強漬け、日本に一時帰国する時だけワッと遊ぶみたいな感じでした。


2月、エビの人の誕生日があるため、吉祥寺の「わ」に行き、新しいメガネをプレゼントとして買いました。


4月、花見に行った二ヶ領用水。


よみうりランドのゴンドラに乗って、スーパー銭湯にも入浴できる丘の湯落語会へ。季節柄まだ花見も楽しめました。

当日はおそらくランドの方でも何かイベントが開催されていて、芝生と桜の園にたたずむレイヤーさんたちの姿が拝見でき、少しお得な気持ちになりました。


5月、GWには春の高尾山へ。登山後、高尾の湯ふろッぴィ(健康ランド)で入浴。京王八王子にある羊羊(メイメイ)というお店で好物のジンギスカンを食べ、高尾近くのきくやホテルに一泊。二日目は昭和記念公園で少し遊んでから、立川の映画館で第九地区を見て帰りました。エビの人というあだ名は第九地区から来たくらいには、思い入れのある映画です。去年一年は、大体平均して1ヶ月一本くらいは映画を観に行ってたと思います。
 
 
なにそのドヤ顔...。



写真がどこかへ行ってしまったけど、2010年7月の第17回東京国際ブックフェアにも行きました。
TBSラジオ文化系トークラジオLifeの経由で、津田さんや仲俣さんの影響もあり、デジタルパブリッシングや情報関連のセミナーやイベントにはちょこちょこ行くようになりました。当日は、上記のお二人や、柳瀬さん夫妻や、準Life関係者といってもいいソフトバンククリエイティブの上林さん、id:ayakomiyamotoさん等にもお会いしました。


9月の那須旅行編へつづく(たぶん)