今日も生きてる

帰り道のさみしさのそのわけを


アクの強い日記が続いたのでなんか普通っぽいのを更新しよう!この日記は下書きでメモ帳に書いてて出すタイミング伺ってたら更新し忘れたやつです。

帰り道はすいぶん長い気がする
帰り道の さみしさのそのわけを
帰り道の さみしさのそのわけを そのわけを
教えてよ 教えてよ 教えてよ
(『帰り道』 FISHMANS ORANGE


ほとんど毎回、誰かと会う帰り道には、このフィッシュマンズの『帰り道』が頭の中で流れます。特に日本帰国中ねー。大体の友達が「おひさしぶり」にして「またしばらく会えない」から。あの地元商店街の夜道を歩きながら、心の中で「かっえりみちは〜ずいぶんなっがいーきがす〜る〜」と歌ってます。帰り道のさみしさのそのわけは、楽しかったから、一緒にいた人が好きだったから、恋しくなるわけで。だから仕様がない。「さみしく思ってる」ってことは、「また会いたい」ってことだから、その逆よりずっと「いい事」なんだよ・・とか、自分に話しかけて慰めてる。あと「あの時こうすれば良かったかな」とか、「これ言えば良かったかな」とか、たらればの可能性に関しても考えまくる!無限一人反省会。


帰り道っていわゆる恋愛的な意味で好きなひとと別れた帰り道だけじゃなくても、誰かと一緒にいた時間が楽しければ楽しいほど切ないですよね。あのさみしさは本当に切ない。切ないって切るって書くけど、本当この言葉考えた人はその通りだよ!ってくらい、体の一部が切り取られたみたいに切ない。「そこにさっきまでいた人」が「いなくなる」っていう事が切ない。「人類は不完全な群体(エヴァ)、だーよーなー」と再度思い出す瞬間です。


「帰り道が一緒になる」ってのもやばいですね。あの時ほど本当に一分一秒長く感じたいと願うときはない。それは約束して会えるような二人じゃないのに、たまたま二人になる事を許された時間なわけですよ。しかも電車とか、いろんなときめく機会がいっぱいあって困る。「自分のために席をとってくれる/譲り合う」とか、「混雑から守られる」とか。そいで勿論「隣りの席に座る」とか!密着するはずのない相手と密着してしまうわけじゃないですか!接着面に電流はしるね!あと周りが混雑してると自然と話す顔が近かったりするのも胸の病気でしにそうになります。うわあーーーー、某特定駅とか思い出すと切なすぎる・・・煙草吸いの男の人がいいとは言わないけれど、好きになったひとがそうだったことがあるので、「ちょっと電車乗る前に一服してから」というのが、「一緒の帰り道」を延長してくれると、「ああーーーーまだ燃えつきないで!」「つかもう3時間くらい電車来ないで!」と思いますよね。そういう経験が何回かあります。


ちなみに昔門限があったんですけど、その当時好きだった人と共通の友人もう一人と一緒にある日お酒を飲んでて、門限に間に合う電車の時間が刻々と近づいてて、私が「すごく楽しくて名残惜しいんですけど、そろそろ帰らなきゃ・・」って言ったら、好きな人がナスの漬け物を指差して「Eちゃん、Eちゃん。このナス持ち帰ってさ、お母さんに『このナスが美味しすぎてつい遅くなっちゃった』って言えばいいよー!」と言い出したんですよね。超笑顔で。
この、照れと気遣いからストレートに引き止めるわけでもなく、でも何か違う言い方で言っとこうっていう気持ちとか、ギャグとしても微妙で半笑ってしまうような感じ、しかも「なんでよりにもよってこんな安居酒屋のナスの漬け物からそんな発想が!」という意外性とか全部合わせて、「うわーこの人のこういう所が大好きだ!」と思いました。いつも、ほとんど飲まない私の事を気遣って、飲み会でワリカンしてお金が余った時、なんか意味不明の言い訳をつけて余りをくれたり。あくまで一応言い訳するけど意味不明って所の不器用さと、意味不明な言い訳をでっちあげてでもこっそり気を遣ってくれる真心にきゅーんきゅーんとしてました。なんか、男の子のそういう、男の子臭い不器用なやさしさとかはにかみとかが大好きすぎるね...!!!「なにそれ!」ってツッコミながらときめく!