今日も生きてる

tsumazuki no ishi 『無防備なスキン』


平成18年7月29日 於:下北沢ザ・スズナリ
公演期間:7/26〜7/30
作:スエヒロケイスケ 演出:寺十吾
出演:
寺十吾 釈八子(木立隆雅改メ) 宇鉄菊三 猫田直 日暮玩具 竹下カオリ 杏屋心檬 松原正隆 鈴木雄一郎 岡野正一 松嶋亮太 中野麻衣
中村榮美子(少年王者舘
永野昌也(スエヒロ アンド ザ スローモースローガンズ)
蒲公仁(個人企画集団*ガマ発動期)
田中要次
劇団公式サイト: http://tsumazuki.com/


スエヒロさんらから聞いてはいたが、出演人数の多さに驚く。スエさんの書く話の設定はだいたい重く、結構突飛なことが起こったりもする。これだけの人数が出て来ても破綻せず、突飛な設定に違和感を感じさせないよう処理するバランス感覚は、作家サイド、演出・出演サイド双方で昔より格段に磨かれた気がする。わたし個人的には感覚的にスエさんの書く世界を受け入れられるので気にならないけど、客観的に観るとどうかな、と思うことも以前はあったが、そういう部分がなりをひそめてきた気がする。


芝居の感想書くのは苦手だ。とくにスエヒロさんとtsumazukiの芝居はうまく言えない事ひとしお。分かりやすい芝居ではないと思う。向こう側もわからせようとなんかしてないだろう。ただこう言うと、いわゆるスノビズム的な「この面白さ、勘の悪い観客には分かるまい」とかそういうのを想像されるだろうが、そうではない。なぜそれは難解なのかといえば、「下手すると自分たちだって自分の事がわかってない、いわんや他人の考えてる事なんて分かるわけがない。ただ、物理的にそこにその人がいて、その人を見たり触れたりする事、言葉を聞いたり読んだりする事を通して、その人の事を断片的に察していくだけ」その現実では当たり前の感覚を、舞台上で表現しているからだと思う。「わたしはあなたがわからない」「あなたはわたしがわからない」そんな関係の上での、やさしさや苛立。そういう人間模様が浮かび上がってくる芝居。うまく言えないけど、でも、「好きか」と聞かれたら「うん、好き」。ヘンな話、芸ごとを楽しむのって、マゾな方が楽しみやすいと思うのだけど、この芝居もその部類で、「けして気持ちよくない物を見せつけられる」ことに味わい深さを見出せない人には向かないかもしれない。本谷有希子とか、阿佐ヶ谷スパイダースとか、猫のホテルとかもそうだと思うけど。


ちなみに、「ほかの人にはわりと好評だった」らしい、ラストはあまり好きじゃない。話のこれからがまったく分からない所で放り出されるのは、余り頂けないタチなのかもしれない。とくに最後の最後で新しい登場人物が出るというのは「え?」と驚いたまま終わってしまった感じ。この前の本谷有希子アウェーとか、そういう終わり方でも余韻を楽しめる時だってあるんだけど、今回はだめだった。


で、こういう事も友人である当事者に今日会った時いってしまったんだけど、思い出さずにはいられない暗い影がよぎる。

私はひとつ、ちょっとしたトラウマになっている事があって、今は無きある劇団の某公演のアンケートで、「それ以外はいいけど、ラストが駄目だった」と書いたら、友人だった作・演出家を想像以上に重ーーくへこませてしまった事がある。当時個人的にお互いの存在がとても特別で、しかも二人揃って「若くてヒリヒリして繊細だった」事が多分にあったし、とくにその人は、人のアンケートをすごく気にするほうだったから、大げさな反応ではあったのだけど、とにかく、「アンケートとはいえ、総合的には好きな人を、一部への駄目だしで不本意なほどにへこませる事がある」という事が逆にショックで、芝居のアンケートはDM欲しい以外では書かなくなった。私が書かなくても誰か適当なことを書いてくれる人がいるだろうし、来続けることが好意の証、行かなくなることがその逆、それでいいかなあと。いい姿勢かどうかは分からないけど、とにかく無責任な事書くくらいなら書かないほうがまだいい、と、私はそういう態度。別に本人が「何言われても気にしない」って人ならいいんだけど、何ぶんこういう仕事をしてる人は特別打たれ弱い人もいるし、知り合いなら特に気を遣う。


だから落語レポートも褒める所しかまず書かない。それでも書く場合は、「こういう言い方だったら言っても大丈夫だろう」という度合いと本人のキャラをある程度把握した上で、よっぽど好きな人にだけ書きます。


ところで、今回の芝居でも思ったけど、さいきんの若い人の舞台芝居は「抑える演技」が主流になってきて、より映画やTVに近くなってきた気がするね。私は結構そっちの方が好きです。