今日も生きてる

上石神井駅前寄席-談修・志らら二人会-

平成18年4月16日 於:上石神井地域集会所

立川談修 『看板のピン』
立川志らら 『宮戸川
<仲入り>
立川志らら 『鰻屋』
立川談修 『薮入り』

西武新宿線はこの直前15分止まっておりました。ま、止まってなくても遅刻だったけどね・・(←この女やる気あんのか)。しかも駅前寄席と銘打つくせに結構駅前から離れていて、相変わらずの全力疾走、汗ダクで会場へ。え!前座さんいないの・・!
談修さんの『看板のピン』途中からでした。
ああ、いつもいつも噺の途中で入ってごめんなさい・・。
いつも結局入るけど、噺の途中で入る無礼をとるか、聞き逃す無礼をとるか、どうしよう、と毎回いろんな会のトビラの前で逡巡する。そもそも遅刻しなきゃいいんだがね・・もごもごもご。


・志ららさん、出て来てすぐ「このビミョーーな空気。これ、それなりにつかず離れず座ってもらってるからいいですけど、真ん中の人が妙に後ろだったりすると、よく分からない陣取り合戦みたいになりますよ」客席の人数が7人から10人そこらだったのである。

あと、よくあるネタだけど、面白かったのは、
「こういう二人会は順番が大事でして、A、B、A、B、というやり方もあるし、A、A、B、Bというやり方もありますが、今日は談修兄さん、僕が間に二席、そして談修兄さんが最後にちゃんと締めてくれるので、お客様はご安心ください!」


最初の漫談(量的にnotマクラ、笑)は、入門当時志らく師匠に仕事があまり無かったことから、高田文夫のカバン持ちになり、ニッポン放送で顔パスになり、オールナイトニッポンに出るまでの苦労話。漫談は本当にイキイキしてて面白いんだけどね。このハジケっぷりと笑いのセンスをもっと落語にも、と思うと勿体ない。


そして奇しくもこれから3連続で聞くことになる『宮戸川』祭りの第一発目。
これがなんだか、早い、早すぎる。情報量が多いわりに一言一言が、「受けない」の方の「スベる」じゃなくて、言葉が届かないという意味でつるつるスベりぎみで、耳が聞けても頭まで行かない、という感じで物足りない。「あーだからもっと落語に時間を割いてくれれば」と思ってしまった。


だってせっかく面白いし、もっと好きになれそうだからこそ、勿体なく思うのだ。ピンポイントの決め技で笑いをとる所ではしっかり面白い。半ちゃんがお花から逃げる所とか、「夫婦!夫婦!」の連呼とか。基本的にサゲのない噺なので、反則といえば反則だけど、夫婦コールで笑わせて逃げちゃうのもアリっちゃアリかなーと思った。


・仲入り後、志ららさんがまた出てくると、「うわーなんかこう、出てきました!っていう有り難みもイマイチないですよね・・」少人数落語会独特の、見に来たんだか見られに来たんだか、というあの独特の空気である。
「しかも僕きょう着物一枚しか持って来てないので、一応感じを変えるために今度はメガネをかけて出て来たんですけど・・よくそちらの様子が分かってこれはこれで・・・」と、その先は口ごもる(笑)


漫談、談志一門の弟子は食べ物を残してはいけない、という不文律にまつわる苦労話。鶴瓶師匠の会でハンバーガー300個の差し入れがあり、もともと小食なのに、それをスポーツバッグいっぱい分くらい食べさせられ、しかもお弁当を6人分くらい持ち帰りさせられた話とか。・・ていうか、この前の日暮里のマクラもそうだったけど、志ららさん苦労話絶えないね・・!いちいち笑える話ばかりだからオイシイっちゃあオイシイけど!

(日暮里のマクラ:柳家小さん師匠と柳家花緑師匠と遭遇した時の話など。「おじいさんと、その後ろで飛び跳ねてる人が近づいて来た」を聞いてから花緑さんといえば、あの時志ららさんがやってた「飛び跳ねてる人」のイメージが焼きついて離れない!)


落語が始まると途端にしおしおしおと・・なかなか器用で巧いし面白いんだけど、やっぱり今までの漫談の面白さと比べると地味に見えてしまう。ううー勿体ない。いや、全然平均点以上に面白いんだけど、ほんと、もっといけそうだからこそ、つい小言じみた事を書いてしまうよ。ちなみにトリに出て来た談修さんがマクラで、「漫談8割、落語2割の色物、立川志らら」と言ってて爆笑。


・落語の感想を書き続けてきて、気付いた事には。
「すでに何度も聞いて感想を書いてる噺家さんの感想を書くのは非常に難しい」。そうそう同じ人の違う面を新たに目撃するわけではないし、その人の基本的な持ち味が好きで重ねて聞いてたりするから、改まった感想は書きにくい。という逃げ口上を打つのはなぜかといえば談修さんがもう7席目だからです。ははは。
あれだけ志らく一門を追っかけ続けて、ハイクオリティな感想を書き続けてるいずみさんは本当にすごい。一緒に行った志らく一門会の感想読んだらクオリティ高過ぎて自分はこの後に何を書けばいいんだ、と意気消沈したわー(笑)


談修さん聞く度とりあえず思う事は、やっぱり良い声です(←毎回言ってるし)。でもそれは大前提の武器だものねー。
そして『薮入り』、初めて聞いた噺だけど、いやーーーこれすっごくいい噺だねえ。夫婦噺は女心で感じ入ってグッときちゃう噺が多いんだけど、わたくしどうやら親子噺にも弱い。

あの滑稽噺の『寿限無』でさえ、こと実際に子供のいる噺家さんがやってたりすると、バカバカしい可笑しさだけじゃなくて、それだけ子供のことを想ってるんだっていう親の愛が言外に感じられて、自分の両親のことを思い出す。ちなみに私の珍しい本名も、「この子は将来外国に行くし、この名前でこの子の災難が払える」という言のもと、当時有名だった占い師に付けてもらったんよ。


日本に帰ってくる時、あまりテイの良くないイロイロがあって、それでも自分を完全に受け入れてくれるお母さん。アメリカにいるお父さんは本当は寂しいのに、私を行かせてくれた。また日々の暮しの中で今、毎日お母さんと一緒にいて、どれだけ限りなくお母さんが私のことを好きで、好きで、好きで、気がかりでしょうがないか、感じ入る場面がいっぱいある。いちいち考えると、笑い出しそうなくらい、泣き出しそうなくらい、愛されているのだ。


とか、そんな事を考えながら、『薮入り』で父ちゃんが「明日せがれが帰ってきたら」って考えてるシーンとか、家の前を掃除するくだりとか聞いていた。うちの親もそういう事するするとか思って、姿を重ねてしまい、じーんと来てしまったのだ。
しかも、亀ちゃんがすっごいかわいくて、しかもしかも、亀ちゃんが出て来た後の照れ照れ父ちゃんがまたかわいくて良かったなあ。


ええと、結構前に談修さんはこのページ読んだ、って言ってたのだけど、最近の更新も読んでるのでしょうか。日暮里の感想で、「喉越しいいけど、もっと間を楽しみたい」って書いたんですよね私。そんでその点は今回、まったくもって間もいい感じになってて。聞かせる噺だったから、たまたまかも知れないけど、すわ、読まれてたのかな、とかちょっと思った。はは。


ただ最後のサゲがどうもなー。『鹿政談』の「マメ」とか『家見舞』の「コイ」(談修さんはこのサゲじゃないけど、そしてあの違うサゲが私はかなりイカスと思ってるけど)とか、なんかいまいちスッと入って来なくて苦手かも。ちょっと尻つぼみになってしまう。


・・え、ていうか二人会の感想なのに、この量は何?長っ!!読む方も大変だね・・!!
さてこの後は、西武新宿線に乗って、高田馬場下車、腹ごしらえに駅そばをかっこんで、いざ山手線は御徒町上野広小路亭へとことこ歩き、志らく一門会だ!