今日も生きてる

世界の中心でアイをさけんでいいですか?


で、今日も落語会行ったわけだね。
感想は明日早いんでまた後日。
けれど、今この時の興奮状態、飛沫ほとばしる想いの丈をそのままに、書き留めておきたいのです。


今日も今日とて私は落語を愛しています神様!!!
ほんと、いま声を大にして叫びたい。
オイ!そこの落語!愛してるぞーー!


あのね、先日古本屋行ってとりあえず落語関連の本見てたら、『談志が死んだ』があったので買って、昨晩読み終わった所なのですが。


立川談志師匠が言い続けている事には「落語は人間の業の肯定」というお言葉がありまして。もうねえ、「それだ!」と思うよね。だから私は落語を好きになったのだと思う。それは私が生来生涯好きなことじゃないですか。坂口安吾の『堕落論』しかり。そのほか今まで好きになってきた音楽やら、映画やら、文学やら、まんがやら、芝居やら、美術やら学問やら、総じてしかり。この人間様の「シチメンドクサイコト」、それがバカバカしくも、哀しくも、卑しくも、けれど愛おしくて可笑しくて美しいこと。


今日落語会へ行く電車の中で奥野健男の評論『坂口安吾 (文春文庫)』を読んでいたので、ことさら強く感じたことだ。あー私が坂口安吾の『堕落論』に胸ぐらをつかまれたのと、この落語への愛は一緒だなあと。


タイガー&ドラゴン』のセリフで、落語聞きながらそば屋の辰さん等が、よく言う「しょぉうがないね〜」ていうのがあるけれど、私は、正にそのヒトの「しょうがなさ」を、人間の人間たる所以として、「しょうがないね〜」と肯定し、笑い飛ばしてしまう姿勢が好きだ。マイベスト映画『アメリカン・スプレンダー』しかり。


こんなにはまってしまう以前に、もともと落語好きだったある友人から言われたことには、
「落語は優しいよ。」
その一言が今はよく分かるのだ。
落語は優しい。


彼女は最近の私を評してこうも言った。


「落語に胸打ちぬかれ、恋に落ちたね。落ちつけって言っても、落ちなしだ。 」
うまい!


てゆっかホラ、落語だけにフォーリンラブなんじゃん!


追記:現在4:38

・・・あのー、とっても疲れてるのに落語のこと考えるとドキドキして頭冴えちゃって眠れないんですけど、わしゃ遠足前の小学生ですか。しかもこの落語ハイ状態、今までも一度や二度の経験じゃないです。


まあ落語に限ったことじゃなくて、楽しい事あると(または楽しい事を妄想すると)と寝れなくなるのはとてもよくあるんだけど。好きな人や物が多過ぎて 見放されてしまいそうだ(c.椎名林檎)という一行が私の全てを表している。胸ときめかせるヒトやモノが多過ぎて毎日慌ただしいったらありゃしないという嬉しい悲鳴。箸が転んでも泣き、笑い、たゆたい続ける万年思春期治らない。