今日も生きてる

ごはん日記に関する考察


やっと食べる前に撮れた(上の記事)。食べたログ*1卒業!でもカウンター席で板前さんの視線がはずかしくてこっそりね・・。 一向に食べロガーになれないのは、特別おいしいものを食べる時=ほとんど目上の人にごちそうしてもらう時だからって話もあるなあ。 ネットとかやってない人の前でごはん写真をとるのは結構はずかしい・・ あと写真をとる時、なんとなくお店の人に失礼な気がしてしまう。特に老舗の場合、場の雰囲気、お店と自分との信頼関係を何か損なう感じがするというか、場違い感つよいというか。ものすごい芸術を前にして写真バシャバシャする観光客みたいなかんじ・・?うまくいえない・・。人のすてきな食べログ見るのは大好きだし、すごい活用するし、憧れるのですよ。だから断じて批判する気はないのです。ただ、自分がするに当たって、「なんかいまいちスマートに出来ないなー」と感じているだけです。 一人ごはん時は、それはそれで店員の目が気になったりするし...食べロガーへの道は遠けり。


といっても自分一人だとあんまり頑張って食べ道楽する気しない・・正確には以前してたんだけど、「うーん、やっぱりおいしい物は誰かと一緒に食べたほうがよりおいしいなー」と空しさを感じるにいたったのでした。大体どんなことでも何かを「イイ!」って思うと、自分のすきな人達にも教えてあげたいとか、食べさせてあげたいとか、この光景見せてあげたいとか、そっちの方に考えがいってしまう。一人ごはんとか、一人映画とか、単騎行動はバンバン出来る子だし、実際するんですけど、けして「一人で行きたい」と思って行ってるわけではない。ただ、私は「一人で行ってでも行きたいもんには行きたい」「人を誘って断られたらかなしいので誘わない」という結果として行ってるだけで、行けるもんなら誰かと行きたい派です。さみしがり屋というのもあるんだけど(幸せを享受している瞬間はまだともかく、帰り道とか)、一人で楽しい思いをするのが勿体ないというのもある。「誰々さんは○○が好きだから、これも好きそうだなー」とか、誰かのことを思い出してしまう。


私ほんと、マメでも何でもないのだけど、人がポロッと言った「○○が好き」とか「××がほしい」っていう発言だけはなるべく憶えるようにしていて、いきなりサプライズプレゼントとかするの超好きです。誕生日とかはぜんぜん憶えてないのに。たぶん私と長い付き合いの友達で、サプライズプレゼントをされた事ない人はほとんど居ないんじゃないかな。好きな物の話を私の前でしてない人以外。偽善くさく聞こえるかもしれないけど、これはもはや趣味といってもいい。自分の好きじゃないものでも、誰々さんにこれあげたら喜びそうだな、と思ったら、その誰々さんに会う予定が数ヶ月以上なかったとしても買ってしまったりする。だって自分のすきな人が「えー!」とかびっくりして喜んでくれるのは単純に楽しい。そのワクテカ、プライスレス・・。


つなみに今の所、わたしがもしこの先「連れ合い」というおひとが出来たら行きたいな、と思っているのはダントツで屋久島登山(絵的にわかりやすくいうと『もののけ姫』のモデルになった場所の一つです)。18歳のとき学校の課外活動で行って、もーー本当にすばらしくて、もし今度ここに来るときはそういう人と来たいなと思ったものだ・・。だからid:stilllifeさんの連れ合いになりたい人は屋久島行きのチケットを買って来て、あいのり風に渡せばいいんじゃない?ピンクのワゴンチャーターして!・・イヤ無理くり希望入れ込みましたが、マジに私と一緒じゃなくても本当におすすめです屋久島。都心部からだと羽田→鹿児島→屋久島と、飛行機二回乗るのでちょっと旅費高いんだけどね。あと、名物としてどこの食堂に行っても出てくるトビウオはまずいので注意。『三岳』という特産品の芋焼酎を現地のおいしい水で薄めて飲むと美味・・っていうのは、ガイドさんが言ってたよ・・ためしてないよ・・ぜんぜん・・友達と消灯時間後にこっそり一杯とか・・ベランダでフィーッこりゃーうまいねーとか・・やってない・・よ・・?(※18歳)。

*1:食べログの対義語として、「食べちゃった写真」しか撮れないブログ