今日も生きてる

生/死/自/他


誰かを好きになると、好きになればなるほど失うことを考えてしまう。それは関係が破綻することもそうだし、その人や私が明日死ぬかもしれないことだったり、たとえ命がなくならなくても、何か抗いようのない天変地異や人災や社会情勢に巻き込まれて、好きな人に会えなくなることを考えずにはいられない。世界の理として、生き物として、仕様がないのはわかっていても、明日にはその人や私が死ぬかもしれない可能性っていうのが常にあること、そのとき私は隣にいられないかもしれないっていうことを考えると、本当に哀しい。それは逆にいえば、私と好きな人がこの現実の世界で生きているという素晴らしい事実の証で、「私たちが死ぬかもしれない」ということは、「私たちは生きている」という事を指し示す唯一の光なんだっていうのも分かっている。でも「好きな人が好きだ!!」っていう感情を覚える時、わたしはそういう恐怖や不安とも戦わずにはいられない。


人にはいつだってそれぞれ事情があるし、実際問題いまわたしは好きな人が住んでいる場所から遠く離れているし、現実的にいえば365日そんな風に感傷的になったりペシミスティックになったりしていてもしょうがないのは分かってる。分かってたって、そういうのがやるせなくなってしまうのが自分という人間なのです。たぶん、いわゆるひとつの愛ってやつは、そういう「切なさ」「やるせなさ」と乖離出来ない。だからこそ「大切にしたい」とか「守りたい」とか、「大事にしたい」とか「幸せでいてほしい」とか、そういう労りの気持ちが生まれるのでしょうし。だから、しょうがない。やるせなくて哀しくて、本気で考えるといちいち泣いたりしてしまうけど、有り難い。美しくて幸せなことなんだと思う、というか、そうやって熱を転換していかないと、毎日なにも出来なくなってしまうから、そう考える。だけどあんまり好きなひとが素敵だと、たまにそういうことが堪えがたくなって、立ち止まってしまう。「明日死ぬかもしれないけど明日も生きてるかもしれないんだから、そっちの可能性のためにもちゃんとしましょう。がんばれ俺ちょう頑張れ」って自分に言い聞かせる。


ちょっとした更新じゃない追記)
喪失すること、大事におもうこと、好きな人が他人であること、自分じゃないこと、思い通りにならないこと、生きていること、関わり合えること、わたしの中ではそれがいつも一つながりなのです。
わたしの怖いこと - 今日も生きてる

戦争を体験してしまったり、大戦中の日系アメリカ人のように極端な差別の対象になったり、朝鮮のように国家が分断したり、亡命の身になったりするのって、突然おこるんだよ、実際ある人たちの身には起こったんだよって事を考えると本気で恐ろしくなる。だって、そういう体験をした人たちの小説とか読むと、直前まで、そんな歴史が変わるようなことがあると思っていない状態で、私たちみたく日常を暮らしている。そういう大事が起きなくても、人間、生きている限り、いつか死ぬのは変わらない。個人レベルの犯罪は時と場所を選ばないし、事故だって病気だってある。銃でも包丁でも人は殺せる。えんぴつでだって目くらい刺せる。「どんなに警戒したって自分の居る場所が死ぬ場所なんだよ」*1


それをふまえて、どうせならどこで誰とどうやって死にたいかを探すのが生きることじゃないかしら。天変地異にあったり、他殺されたり、っていうワーストケースシナリオを考えたとき、私は、それがどうせなら愛する故郷で、好きなものやひとに囲まれて死にたいと思う。単純計算上日本は治安もいいし、「差別だ格差だ」たってそれで殺されたりしないし、内戦も戦争の可能性も他の国に比べたらずっと少ない。子供とか伴侶がいたら、たぶん自分がどう死ぬかより、彼らを守りたいことが最優先だけど、今の所はいないので、自分の死に際を優先したい。子供のことを考えてもアメリカで子育てしたいとは思えない。最近、親がいつか死ぬのも怖い。でも、自分が親より先に死んで親を泣かす方がもっとずっと怖いから、それは立ち向かうしかないと思ってる。


コミュニケーションの限界と私たちが他人である事についてよく考えてる - 今日も生きてる

だから、これは結果的には成功例よりの話なんだけど、同い年で、同性で、もうかれこれ5年くらい親密な付き合いを経過した友達でさえ、「あ、今のこれは、伝わったかな」ていうのが得られるには、かなり必死な「言葉と心と頭の運動」を要するわけで。がんじがらめにされてる中で、走って、登って、あがいて、もがいて、やっと辿りついた場所で通信電波入るようなね。その不自由さとハードルの高さを、誰かに何かを伝えようとする度にすごく感じる。分かり合えない、自分の思い通りにならない、共有できない、独立した他人同士だ。だけど、それでもできるだけ、誠意をつくしたい、あなたを知って、私の事も伝えて、必死こいて、愛をそそぎたい。こういう日記の文章とか書いてるときもそう思っている。
(・・・)
それに上記のKちゃんに言った事とも似てるけど、私は結局哀しい思いをしてるめぐみさんのもとに走ってって抱きしめたりとか出来ないわけですよ。私が走ってって抱きしめることの有効性はともかくとして、ようは直接的に、具体的に助けられない無力さがあるし、痛みも変わってあげられないし、「感化」「説得」という形でその人の気持ちや行動を変える可能性があっても、実際に能動的に変わるのはその人自身でしかあり得ないという事です。


文化系トークラジオLife10/26/08「ぼくたちの失敗学」投稿 - 今日も生きてる

それは17歳の夏休み。親戚のお宅が岐阜にあり、寝る時は『保護者つき』とはいえ、それ以外の時間はずっと友達と自由行動、親の目を離れて初めての旅行に私は浮かれていました。主(あるじ)のおじさんは高齢で、その時ちょうど入院していたので、おじさんの妹さんが私たちをお世話してくれました。「いつもの検査だし、正月もまた会うんだから、こんな辛気くさいとこ見舞いに来んでいいよ。」おじさんも妹さんもそう言っていました。嫌な後ろめたさが脳裏をかすめたのですが、限られた滞在期間の中、みっちり組んだ遊びの予定の中、はしゃいだ空気の中、「友達を待たせてたった一時間でも病院へ行く」という、一言が、あの時言い出せなかった・・。

そして、おじさんは正月を待たずして息をひきとりました。話すと長くなるので詳細は省きますが、私たちは血のつながりのない間柄でした。しかし、お葬式で周りの人々が、私や姉に向かって「あんたらのことはほんまに孫のように思ってたんよ。」と言いました。でも、そんなことは、他人の口から、後から聞いても意味が無い。おじさんは、硬派で、昔気質で、私たちが遊びにきても、いつも自分の部屋にすぐ入っちゃってたのに!「あなた達が来る前はずっとそわそわして待ってたのに、来ると恥ずかしがっちゃうのよね」とか、そんなの後から聞いたって、もうおじさんはいないのに!なんで生きてる間にそういう事もっと伝え合えてこなかったんですか!一度くらいは、ちゃんと私も、大好きですって言いたかったのに!

・・たぶんこれが、いちばん自分に影響を与えた『失敗』です。それまでも家庭環境やら何やら複雑だったせいで色々な『喪失』を経験してますが、この17歳の夏以来、自分が傷つくの恐いとか恥ずかしいとかより、「もしかしたらこの好意は通じ合うかもしれないのに、今逃したらその機会はないかもよ?」という方が恐いんだと肝に銘じるようになりました。死なれちゃったら終わりです。健康な人でも事故死する事だってあるし、私だって死ぬかもしれないから、大事な人を今大事にしたいです。


最近読んでそういうことを考えた皆さんの日記:
http://d.hatena.ne.jp/kinut/20090117/p1
歳月の日記 - 平民新聞
あなた以外全部虚無(Nothing without you) - 夜明け日記
おかんの誕生日だった - もくりこくりがくるよ。