今日も生きてる

妄想すれども、期待せず


『われ告白す、ゆえに我あり。』にいくたんから貰ったコメント返信書いてたら、NAGEEEE!思春期臭UZEEE!ってなっちゃったので改めて、記事として書き直してみます。ていうかアンテナでなっがい日記が出るの心苦しかったら<続きを読む>記法で畳めばいいんだった。忘れてた...!

えへへ。全然タフじゃないんですけど、打たれ弱いまんまでも引き受ける覚悟があるかどうかの問題かな。「覚悟はいいか? オレはできてる」*1「ねーちゃん! あしたっていまさッ!」*2DE・SU・YO*3。でもねえ、後から「嘘ついちゃいけねえ」と思ったので補足するけども、この記事で私が言ったことは恋愛にはあてはまらない。某閉所な空間で人の恋愛相談に向けて書いた文章を一部転載して自分への戒めおよび宣言・記録としたい。というか私もここらでホメ・マイセルフ*4しておくと、この文章元のログ消しちゃったけど、「私すごい良い事言ってない?」と自分でも思ったりしちったりしちゃったから*5

私論ですが、「周りの迷惑も結果も省みずに恋をする」、という事は女子として絶対経ておくべき経験です。出来れば十代のうちに。しかし、こういう経験を既にしてきた20代以降のひとが同じような態度で恋に臨むのはダメです。周りが見えないとか、気を遣えないとか、そんなのを「好きだから」で片付けるのはどうかと。自分も成長させないし、相手にも迷惑だし、第三者的にも見苦しいです。実際そういう人を見てきて、気持ちは分かりますが、やっぱり何よりその子本人にとって良くないので..。


恋が不細工なものである事には変わりませんが、いい年こいてそれ位の采配をできないのはカマトトじゃないでしょうか。それでも衝動に生きるのは「状況分かった上で知らないふりしてカマトトぶりやがって」だと思います。大人になったら自分と相手を長い目で見て大事にしてナンボ、大事にされてナンボだと思う。「とるべき距離をとってでも関係を大事にする」方が、「直球アタックして関係性を壊す」より深い「恋の続け方」だと思います。ご存知のように私は惚れっぽい上に、20代以降も素敵な殿方との出会いが絶えないので、本当はしょっちゅう「やばい、マズイ、惚れた!」と思っているのですが、10代の頃とは比べ物にならない強い意志で、マズイ相手には「そういう意味で好きな気持ちはしまっておく」よう努めています。


恋愛だと振る方もリスク高いから、まったく脈がなさそうな状態で「後悔したくない」は前記事で書いた「押しつけ」に値すると思う。思うのだが...でも、上の文章書いた後に、能町みね子さんのモテない系読んであんな長文思春期エントリ*6をあげたので、結局「女の子は好きな人を追いかけるより、自分を追いかけてくれる人を慈しむべきなのか...」という答えの出ない命題にいまだ迷っている私がいます。思春期病ハンパねぇー!

そう、度重なるハートブレイクに疲れ、ボーイミーツガールの化学反応実験学習が身に染みた私は、いつしか、「素敵かもしんまい」と思った人に彼女や奥さんがいると、「ああ、これでガツガツしないで面倒くさい事にならないですむ。」とホッとするようになりました。今はお相手のいない人でも、「この人には好きな人がいる説」ってとりあえず思い込んでみたり・・面倒くさい事になって側にいられなくなるよりいいよね、それでも好意を伝えずにはいられないから、無邪気な信奉者を装ってでも周りにいたいのです・・。

こんなこと書いてる私ちゃんは、ちょっと自分が自分で泣けてくるよ..。


あと友達でも「すっごい好きな人」じゃないと前記事で書いたほどの覚悟は出来ないので超牛歩、または完全に諦観して遠くから見守ったのち、学期終わりとかで会える機会がなくなれば過ぎ去るのみ...。くわえて厄介なことに、どうも人と初接触する時、その緊張と興奮がひるがえって、何か面白おかしい事を言わなければという強迫観念を感じてしまうの..。それで、気合を入れて発言したあげく、もうその瞬間には「もっと普通なこと言えば良かった..何この第一印象..ヒー!」と後悔する位へんな事言っちゃったりします。ほんで帰りの電車とかで一人反省会するんだよ..もうっオレ自重!オレいろいろはみ出しすぎ自重!みたいな感じになるお..。


つもるところ私は「わんわんわんわん!!ハッハッハッハッ(←犬の息声)」って突進するか、そこまで覚悟できない人にはひたすら受け身のどっちかで、普通に段階を踏んで人と仲良くなるさじ加減がいまだよくわからない。中高卒業すると人間関係を発展させるのに時間かけられないの困るよね*7。私には突進と牛歩の二択しかなくて、牛歩ペースだと数年単位とか余裕でかかっちゃう。「この人と友達になりたい!」から、「これは友達って言ってもいいかな..?」になるまでかけた最高記録10年だよ...まあでもこの人はいまだに実際会ったら好き過ぎで照れ死んで故障するから、そういう意味では「友達」になりきれてないかも..。


以前『ハチミツとクローバー』最終巻読んでの感想mixiに書いてたのがあって「正にそういう話」なので今さらひっぱり出してみる:

最後のモノローグについて。心から共感する。
意味の無い経験などないと思う。ことに誰かのことを強く想った経験が無意味であるはずがない。その気持ちも経験も、自身をつくる欠けがたい一部となって残って行く。伝えられなくても、叶わなくても、単なる記憶以上に、それは自身と不可分の血肉になると思う。いわんや、その上何かしらの信頼関係を繋ぐ事が出来たならば、それは尚さら。人は純粋に一人としては存在せず、そこに強い想いや記憶や影響があったなら、例え死んだ人とさえ別れることは出来ないと思う。人の人生に「出会い」はあっても、その後の「別れ」は本当は無い。ただ空間と時間と諸事情によって隔たれるだけだ。
「この人を好きになってよかった」と毎回思います。今も思ってます。


ほんで、自分は自身が奥手なくせに、自分が好意を持つひとも奥手なひとばかりで、だけどそれってとても困難な道をわざわざ選んでいる事になるわけですよ。でもでも、そういう人(たち)が少しずつでも心を開いてくれると、なんかもう超嬉しくてあっさり報われちゃう。「へっへへー!ィヤーッタイ!わたし間違ってなかった!月に旗立てたった!おれはガガーリン!」とン年間の気まずい空気の重さや痛みどころか、自分の全てをまるごと肯定されたような気になる..!というか平たく言ってそれを思い出す度、「ヤッベ..生きてて良かった..これで明日からも生きていける..」くらいに胸熱くなるので、たぶん粘着片想い体質は治りません。「かまってくれた!かまってくれた!ハッハッハッハッ」っていうのを一生忘れられない犬同然になる。すきになって、近づかせてもらって、もっと好きな所を発見する..「優しくしあう事を許されたのだ..*8」ねえこれ、超しあわせじゃないですか..「離れられない理由なんて この痛みひとつでじゅうぶん」「キズつきませんから」*9。しかし相手に受け入れられる事と、女子として男子に慈しまれ、しあわせになる事はまた別なので、背中に「片恋上等!天上天下唯我独尊!」と入れ墨しょってるような私ちゃんの行く末が、わたし、わたしで心配です。ねえねえマジこんなペースで嫁とかいけんの?ちょ、おま、ほんとにこのままでいいの?


タイトルの「妄想すれども、期待せず」は、某落語家へのしたたり落ちるほどの愛を友達に語ったら、その子から「Emの愛は妄想しても期待しない所がえらい」といわれて、ひどく感銘を覚えたので使っていこうと思いました。そうです。ユーうまいこと言った!それが基本方針。片想いして、いっぱい妄想めぐらせても、相手に期待しないのが私なりの愛だと思います。勝手に愛しちゃった拙者の誠意でござる(武士)