今日も生きてる

『好き好き大好き超愛してる。』


渡米直後から1週間くらいで日本で買った小説を一気読み。


好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)

好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)

表題作『好き好き大好き超愛してる。』と『ドリルホール・イン・マイブレイン』からなる単行本。タイトル『好き好き大好き超愛してる。』と帯文『愛は祈りだ。僕は祈る。』で、私のための本か?!と呼ばれて思わず購入。私にとっては『阿修羅ガール』(ISBN:4101186316)に続き二冊目の舞城王太郎


まあ短編集なので全てのお話に決着を求めるわけではないが、私は「ネガティブに高ぶったまま上手く言えない気持ち」みたいなものを抱える読後感の作品(映画とかでも)を、大大大好きとは言えない。完全にハッピーサニーエンディングじゃなくていいんだけど、何となく、「でも何とかなった」とか「何とかなりそう」的な、最低でも「ひとすじのある光」みたいな物が欲しい。大大大好き、というにはね。ぎゅっと緊張されたままとか、ガガーンとしたまま終わる作品の、クオリティを認めないわけじゃないんだけど、好きか嫌いかで言ったらという話。映画で言うと『エレファント』(エレファント デラックス版 [DVD])とか、壮絶な強度を持つ映画として「評価する」けども「大好き」ではない。


というわけで、『ドリルホール・イン・マイブレイン』は私にとっては『エレファント』カテゴリーだった。


好き好き大好き超愛してる。』、これって『柿緒』以外の部分は『柿緒』の主人公が書いた小説と読むのだろうか、それともパラレルワールドだって思って読むのだろうか。もちろんどう読むかは各人の自由だろうけども。痛み:救いのバランス的に、私には痛みが生々しすぎて、この全てを大好きとは言えない。うまく「アリ」と「ナシ」の線引きが出来ないけど、短編であっても、登場人物が途中で打棄られる感じがどうもダメだ(『佐々木妙子』とか)。しかし部分的な文章の強度、美しさ、説得力は圧倒的で打たれる。特に序文は絶品(「愛は祈りだ。僕は祈る。」)。そして『柿緒』の幕引きもぐっと来る。

僕は柿緒を愛し過ぎるほど愛してみせる。間違っているほど愛してみせる。自分の人生を台無しにしてもいいとバカみたいに思うようにしている。それでいい。
パスカルは言った。
愛し過ぎていないなら、充分に愛していないのだ。
僕は一人で小説を書いている。女の子をふったりもする。バカだなと思う。
でもバカでいい。間違いばかりでいい。
愛し過ぎるというのはそういうことなのだ。そしてそれぐらいで、人を愛するにはちょうどなのだ。


序文〜『柿緒』の流れに関しては、かなり自分の体感にぴたりと来るものがある。ただし私がぴたりと寄り添えないこの理不尽な痛みのノイズも含めてまたそれも、作者が「愛のことば」を紡ぐには必要な儀式だったのかもしれない。


『骨追い讃歌』を書いた時の気持ちとかなりリンクするものがある。『骨追い讃歌』で謳われたところの「彼」は舞城王太郎のファンだから、捧げる気持ちに繋がるものがあるのは当たり前なのかも知れない。


『骨追い讃歌』最後の一文、
"Blow out the candle I will burn again tomorrow."
とは、Feistの"Inside And Out"(Let It Die)の歌詞である。
超情念系なのにポップで頼もしくて、必死なのに、可愛気がある、女心の名曲で、大好きな歌詞だ。日本語に訳すと完全にストーカー演歌みたいになってしまって上手い訳し方が思いつかないのだけど一部訳&意訳。

I am the girl who loves you inside and out
backwards and forwards
(私だけがあなたの内側も外側も裏も表も全部愛せる女の子)
with my heart hanging out
I love no other way
what are we gonna do
If we lose love fire

がサビで


Cメロのクライマックスが

Don't try to tell me that it is over
(「終わった」なんて言おうとしないで)
I can't hear a line, I can't hear a word
(そんな言葉は聞こえない 耳に入って来ない)
No girl could love you more
that's why I'm crying for
(これ以上あなたを愛せる女の子なんて他にいないから言ってるの)
you can't change the way I feel inside
(たとえあなたでも私が心の中でどう感じるかは変えられないでしょう)
you are the reason for my loughter my sorrow
(私が笑うのも 悲しむのも 理由は皆あなた)
blow out the candle I will burn again tomorrow
(もしもロウソクの火を吹き消すなら また明日私が灯してみせる)

(↓追記した)

No man on the earth could stand between my love and us*1
(この地球上で誰も 私の愛と私たちの間には立ちはだかれない)
And no matter how you hurt me I will love you till I die
(あなたがどれだけ私を傷つけようと 私は死ぬまであなたを愛す)

正に、
「愛し過ぎていないなら、充分に愛していないのだ。」


"blow out the candle I will burn again tomorrow."
「通じ合えることなんてなくても」と居直った上でも言い切る。強くて美して、命と意志の光に満ちた一言だと思う。


人間の人間たる業によってパンドラの箱を開けたら数多の災厄が溢れ出したが、しかし、最後には希望が残された、というような話が好き。


2007年11月27日追記:
読んだばっかりの頃は痛みばかりがしんどくて上記のような感想を持ったのですが、時を経てみるとなんだかとてもこの掌編の事がくるしいくらい好きになってきました。『ドリルホール〜』はいまもツライけど、『好き好き〜』のことは大好きだと認めます。

*1:構文的に微妙なので聞き取り間違いかも/公式に歌詞カードついてない