今日も生きてる

漫談・私が小さんファミリーをつくるまで


落語と私、私と落語、なんて甘美な響きでしょうか。まさに落語と蜜月にいる私の、現時点でのめくるめく妄想。あくまで妄想だから、現実も未来も知らない。収集能力気にせずに大風呂敷いっぱい広がります。臨界点突破バカ日記なので読んで後悔しないで下さい。


東京かわら版に投稿式の長文落語レビューコーナーがあったら奮って応募したい。といったら、作家の友達に「んなこと言ってないで自分で新しいミニコミとか作ったらぁ」とふっかけられた。いや、かわら版にライバル誌出来ても困るよな・・お世話になってるし、一誌で需要と供給がカツカツだろうに。


・いま一番気になる著名人はもちろん堀井憲一郎氏。図書館で文春のバックナンバーをずんずんのとこだけコピりたい。大学を卒業した後もまだ私が落語バカで、堀井先生がまだ日本一生の落語を聞いている男だったら弟子入りしたい。堀井先生はたぶんいつか落語本を出すと思うので、うまくすればその製作に関わりたい。


・ふと今日すごい下らないずんずん調査を思いついた。寄席や落語会のあと噺家さんを帰り道見かけることはよくある。特に鈴本演芸場落語協会、お江戸上野広小路亭が隣接する御徒町・上野付近では、自分が見た会の出演者じゃない、ただの通りすがりの噺家さんにもすれ違ったりする(この前志らく一門会の後に王楽さんとすれ違った)。
私くらいの知識量でもたぶん一日あの辺にいたら誰かを発見すると思う。なんかそういう定点観測みたいのをしたらずんずん調査っぽい事が割り出せそうだ。ある一カ所で噺家○人遭遇、とか。超無意味。超自己満足。演芸年鑑と首っぴきで頑張るの。つうかそれ、プライバシーの侵害か。


・今後の人生、冠婚葬祭の度に絶対落語家を呼びたい。親族の法事、自分の結婚式、子供の結婚式、生きてれば孫の結婚式・・可能性は広がる。最後は勿論遺言で、自分の葬式にも呼ぶ。ネタは何にしよう。子供がいたら『薮入り』、息子だったら『浜野矩随』、旦那さんより先に逝ってしまったら『替わり目』、『厩火事』、そんな噺で泣かせられるような妻・母になれればいんだけどね。死んで喜ばれて『らくだ』だったら死に切れないよ・・!あ、林家彦いちさんの新作で『ワクワク葬儀屋』なんてのもある。「生前故人は落語が大好きで、何事にも噺家を呼びました。供養と思って笑ってください。」


・このままいったら私子供の名前に「志」をつけるよ。普通の人名に「談」入れるのはちょっと難易度高いじゃない。そのまま一字で「談」、というのもあるけど、今時「談」はないよなあ、昔の劇画じゃないんだから。ストレートに「談志」はあんまり露骨すぎるし。


「志」のほうだったら「○志」とか「志○」とか応用効くよね。前から自分の祖父(大吉郎)や母(広子)の名前も継がせたいと思ってたから、男だったら「大志」とか女だったら「志広」とかさ。そんで家元がまだ生きてれば根津の家元宅ガレージセールとかに赤んぼ持ってって、名前つけましたって発表するんだ(←迷惑)。


・もちろん胎教は落語です。お笑いがわかる年頃になったら落語会に即連行。大学受験の年になったら「明大か、日芸か、もちょっと頭良かったら早稲田行きなさい」っていう。そんで落研に入らせまして、卒業後、しかるべき師匠の所に連れて行き「この子をよろしくお願いします」。ふつうは子供が親連れてくんですけどね。私が連れてく。
師匠は立川、柳家、はたまた入船亭か。30年後くらいだったら今の新真打や二ツ目さんたちがさん喬さんクラスの年になってていい感じでしょ。「この師匠の事は母さん、昔っからよく知ってるから間違いないよ!」


・寄席芸人だったら真打披露が楽しみだな。一緒に勇んで演芸場回っちゃうね。毎回泣いてたんだけど浅草あたりでダレてきたり、でもやっぱり池袋では泣いたりして。
やがて大看板に成長する息子、増えていく弟子、ゆくゆくはうちが次代の小さんファミリーみたいんなる。それでその弟子の中に、ちょうど家元の生まれ変わりが入門してくるって寸法。壮大な野望ですね。


がんばれよ、息子!
私に未来の花緑を抱かせておくれ!!





まいどばかばかしいお話でございました。柳家のみなさん、ファンのみなさん、どうもすみません!