今日も生きてる

ことばが降りて来た夜なんとなく勢い意志確認


所詮、恵まれていると思う。
住んでいる場所を言うと決まってヒトの反応は同じだった。
通っている学校の名前を言うと決まってヒトの反応は同じだった。
9割の人間が同じ反応で、「悪意はないんだ」と思ってもうんざりした。
だから、基本的には諦めているけど、住んでいる場所を言っても、通っている学校を言っても、何も言わない人がいると好感を抱いた。

だってそれは自分の力ではないからだ。
東京のド真ん中に生まれ育ち、ちょっといいお家に生まれて、幼稚園から大学まである私立にずっと通って、今は海外住まいですか、ということ。何かあったら自分に力がなくてもお家がどうにかしてくれるんでしょうと、思ってないって言いはったとしても、思われているということ。実際に甘ったれていること。ほっといてもお金が貰えるということ。

そういうことに逆にコンプレックスを抱いていたこともあった。
今も正直、素直に享受は出来ない。
でも本当に真剣に人生を生きるなら、下らない杞憂なんて捨てて、幸運なことは利用するべきだ。

そして、これだけは自分の胆に命じておきたい。
1年後、2年後、5年後、10年後、私が何をしていても、していなくても、後悔だけはしたくない。不満足な結果に終わったとして、誰かや何かのせいにはしたくない。全ての結果は自業自得だ。

何か本気でやりたいことがあったとして、
もしそれが出来なかったら、
それは環境のせいでもなんでもなく、
単に自分がそれほど本気じゃなかったんだよ。

しよう、したい、と思って何かをするのは趣味だ。
そうせずにはいられない、という人だけが、したいことを仕事にする資格があるんだ。