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文化系トークラジオLife12/28/08「文化系大忘年会」投稿記録かつ、2008年の社会時評&文化系トピックマイベスト&2008年の文化系トークラジオLifeハイライト


ちょっと今回の放送に関してはすごいご報告があるんですが、それは外伝分の配信が完了されたら改めて発表いたします!いくつかの記事に分けないと投稿だけでも結構あるのでその記録を先に出しちゃいます。文化系消費に関してはあまり最先端を追いかけず、昔の作品に対して自分内ブームが巻き起こることの方が多いし、オールタイムベストだけでも充実してるので、2008年発表シバリだとあんまり言及するネタがありませんでした。
文化系トークラジオ Life: 2008/12/28 「文化系大忘年会2008」 アーカイブ


社会時評サブカルチャーにおける2008マイベスト:

  • The Ting Tingsの『We Started Nothing』"Shut Up and Let Me Go"のアゲアゲ感もいいんですが、「何もかもうまくいかない時でも、私たちは歩く」と歌う"We Walk"のシンプルで力強い言葉の連呼に鼓舞されました。
  • ずっと待ってた加護亜依さんの復帰が本当にうれしかったです!「すきなひとのことはずっと好きなの!戻って来てくれるんだったら何度だって応援するさ!」と心に誓いました。
  • オバマ大統領候補の当選。氏の大統領としての業績はこれから歴史が証明するところですが、エポックメイキングな出来事として、またインターネットを経由した直接民主制カミングバック兆しかも、と思ったので。

※投稿後追捕:具体的には、彼の人種やエスニシティがハイブリッドな出自であることもエポックメイキングなんですが、「民主制」についていうと、現代の「民主主義」ていうのは古くはローマ、もうちょっといくとフランス市民革命時やアメリカ独立時に作られた「民主制」ていう概念とはもう明らかに乖離していると思っていて(民衆のわけわかんない所で政治が動いてるって意味で)、それがインターネットを媒介にして、「草の根」から人気を集め、小口から大量の資金を集めて大統領に選出されたオバマさんの登場で、また政治が民衆の手に戻って来るような可能性が証明されたっていう。そういう意味では新しい形の「直接民主制」がカミングバックなんじゃないかなあと、思ったのです・・・て、今言ったことは7割くらいストリームの受け売りですけど・・!!! 笑あと、今回は大統領選もそうなんですが住民投票事項戦も前回より物凄く盛り上がってた気がして、下記のMilkさんの映画と合わせて、日本人としては現実感がとぼしい、「自分たちの意志や運動によって法律だって変えられるのだ。実際的に世の中を変えられるのだ」という政治参加に対する希望を強く感じました。

  • 映画『ダークナイト』の大ヒット。オバマ候補当選と合わせて、アメリカの民度に希望が持てるかなぁと思ったんですが、個人レベルで話を聞いてみると、社会批判的な内容をあまり理解しないでこの映画を好きなアメリカ人も結構いたのでそうともいえないかも・・と思いました。

※投稿後追捕:というのも、わたしは趣味が同じ人と解釈の違いでケンカとかいうのを今まで全然したことなかったんですけど、あるアメリカ人と『ダークナイト』の話してて、「最初の方は暗かったけど最後の方は希望がある感じだったし最終的にはバットマンがイイやつで終わったから良かった」と言われ、「え、それは表面上のあらすじ追えてないレベルでは?」と思い、必死に伝えようとしたが納得して貰えなかったからです。「十人十色の感想でええやん」という気持ちになれるまで「どう彼に説明すれば良かったのか」と3日間くらいもんもんと悩んでしまいました。

  • まだ日本では公開されてないんですけどゲイの公民権運動家・政治家Harvey Milk氏の伝記映画『Milk』に奮い立たされました。予告でCharlie*1が言っていたような、「世の中なんて変わらないよ派」と「いや変わるよ派」でいえば、私はここ数年の世情に深く絶望し、「変わるかもしれないけど私には無理だよ派」でした。でもこの映画を観てMilk氏の思想にふれ、「望んだような結果が出せなくても、微力ながらでも、戦う意義はあるのかな」と思いました。

町山智浩さんの11/24『コラムの花道』で紹介されていたので行きました。映画の詳細はそちらで(宣伝、笑)



文化系トークラジオLifeにおける2008年ハイライト:

  • 親子関係』での森山裕之さん親子インタビュー!そしてお子様うまれてデレデレな様子。「家に早く帰りたくて駅から走る」「子供抱きしめながら一生父親を投げ出せないんだなと思う」に素朴で飾らない言葉に真摯さが伝わってきてじーんときました。
  • 恋と三十路と文化系』でのチャーリーの女性ゲストへのタジタジ具合、そして皆さんに「文化系カップルアリでしょう」といわれ、文化系男子が好きな文化系女子として希望がもてました・・。私も夕飯時にエヴァの話とかできる家庭を築きたいです。
  • 雑誌R25のバックにある、「記事を超短文にすることで間口を下げて、利用者の知的好奇心需要を開拓していこうという思想と具体的な戦略」を聞いて感銘を受けました。

(※以下、今回の投稿とは別に、放送を聞いて色々思いましたが、リアルタイムで感想書けなかったこと:

    • 人間の体が眼精疲労に対して限界がある以上、全ての文字メディアがまだしばらくデジタル化されるとは思っていなくて、逆に仕事や家庭の業務がIT化される→ある程度毎日のテクノストレス・視覚の酷使がさけられない→紙メディアの方が目に優しいので、人間が身体的に進化するか、医学的にこの疲労を解決する技術が生まれない限り、この意味で紙の需要はなくならないと思います(手紙が激減してもなくなりはしなかったという、人間の情緒・文化習慣への愛着を根拠とした需要以外にも)。
    • ただ、デジタル化して何が便利かっていうと、検索できるのが便利なんで、個人的にはGoogleBooksで全部検索できるようになって欲しいなあと思います。あと対テクノストレスから生まれる新しい需要という意味では、ラジオやオーディオブックなど、「視覚を使わず情報を得られる」ものは、今の時代にこそもっと再評価されるべき、と思います。これも、欲を言えば全書籍オーディオブック化してほしいです。視覚障害者や、手先が不自由な方のためにもなりますし...。
    • でも、ゆくゆくは、デジタル化している文字メディアだと、音声読み上げも可能、という利点もありますから、読み上げソフトがもっと自然になり、オーディオブックがより一般的になったら紙いらなくなるかも知れません。今、ネットでダウンロードというと、なんとなく、「違法性」や「情緒のなさ(パッケージ商品としての美のなさ)」に結びつけられますが、CDやレコードもそうですけど、紙メディアは、法律や美意識を越えた環境問題の善悪からみたら、「合法ではあれど、正規で売れば売るほど資源の大量無駄遣い」なわけで、極端なことをいえば地球にとってはむしろ「ファイルシェアリング」の方が善なわけで・・・そういう意味でも一概に「違法=悪」ではないよなーとか思います。)

放送中、文化系のダメ(とくに異性関係)な部分が強調されすぎでは...そういう事が強調されると、「なんかそこで居心地よくなるのちがうくない?」...ていうのが納得いかなくてモヤモヤしてました。そこで、外伝2における柳瀬博一さんの「とりあえず惑え!」話はそこからだ的発言、そして黒幕*2の「『僕の事を好きになってくれる女子が好き』は不愉快」「『趣味は合うけど自分よりはものを知らない女子が好きという文化系男子』とか」「『自分の事が好きな子』とだけ付き合っていたら『敗北』がない」「Lifeでのお山の大将感や居心地の良さに甘んじてはいけないと思ってる」「自分が『多数派の中では勝てない』という敗北を一度抱きしめてから自分なりの何かを求めていくべき」という発言に「これだ!私が求めてるものはこれだ!」とシビれました。

  • ぼくたちの失敗学』における津田大介さんの徹底したぶれなささがオットコマエでかっこよかったです。加えて佐々木敦さんがリスナーの失敗談に対して「自分の高潔な判断に自信を持って欲しい」と真摯に語っていたパート、そして「タイムマシンは無いんだからある種のことは後悔したって仕方がない」とおっしゃっていたのが印象に残っています。

(2007年『しょうらいのゆめ』での、佐々木さんの有限性の話も凄く好きなんですけど、それにもつながるなー!と思いました:「どんな人間でも有限じゃないですか。まず有限の時間しか持ってないし、有限の能力しか持ってないし、今みたいに外側にあるものっていうのが物凄く見通しが良くなっちゃうと、自分の有限性みたいな事に耐えられないわけですよ。自分が結局この程度のもんであるって事に耐えられないから、色んな物が出てくるわけ。セカイ系みたいな考え方ってそういう所から出て来ると僕は思っていて、だから多分必要な事っていうのはそれぞれの人間が...要するに自分がね、自分の有限性みたいなことをどう肯定するかって事ですよ。どう引き受けて、どう肯定するかっていう事を、色んな、例えば教養とかの次元でもやるだろうし、実存的な次元でもやるだろうし。そういうような事(有限性)をどう認められるか。たぶん皆自分の有限性に堪え難いわけ。」)

  • 秋葉原無差別殺傷事件』における、Charlieの『クワイエットルームにようこそ*3』の話。『もののけ姫*4』の「おまえにサンが救えるか」「ともに生きることは出来る」とか、エヴァとか、「他者同士が出来ることって何?」ていうことを色々考えさせられました。私の中で、「エヴァの完結編て実は『監督不行届*5』じゃないか説」というものがありまして、それはどういう事かと言いますと、『監督不行届』で庵野監督は嫁の安野モヨコさんに対して物凄くまっすぐに「僕は全力でこの人をこれから守っていく」みたいな事を書いてて、エヴァの時の庵野監督とは確実に一段違う他者との関わり方と覚悟をしている気がして感動すら覚えたからです。「自分がヒトからこうされたい」とか、「自分」のことばっかり考えてると、自意識ってやつはずっと永遠に止まる所がなくて、でもそれが良い意味で思考停止する瞬間って、「つうか、目の前の人をとにかく守らなきゃいけないので自分のこととか考えてる場合じゃない」ていう所なんじゃないかなという気がしたのです。しかも、それはけっして理解し承認しあった他者同士なんかじゃなくって、「わかりあえない・思い通りにならない他者」っていうことを受け入れた上で、ただ側にいることや優しくすることは許してもらって、その人のために不断の努力をし続けること。そういうことに一心不乱になっているとき、自意識の暴走って止まる、というか「忘れる」んじゃないかな、という気がします。

*1:鈴木謙介

*2:Lifeプロデューサー長谷川裕氏

*3:asin:B0011JPENC

*4:asin:B00005Q4I3

*5:asin:4396763530