今日も生きてる

映画『ミルク』と私と9.11とマイノリティーであること


日本で映画『ミルク』の公開が始まったらしいので、2008年11月のアメリカ公開時に観にいってTBSラジオストリーム宛に送りつけた超長文を公開しようと思います。日本公開に向けてもっとちゃんと読みやすい応援記事を書いたり、関連資料(ミルクさん本人の演説映像とか)を訳したりしたかったのですが、編集する時間がなくてほぼ使い回しです。なんでストリームに宛て感想を書いたかと言いますれば、観に行ったきっかけが、2008年11月24日町山智浩さんの『コラムの花道』での紹介だったからです。


以下本文:

ポッドキャストで聞いております。アメリカ、LAメトロ郊外在住、Asian Studies専攻の日本人大学生です。映画『ミルク』を観てきました!11/24『コラムの花道』町山さんの紹介トークだけでもウルウルきてた位なので、本編中は号泣しきりでした・・。日本にいた時も、アメリカにいる時も、社会的・経済的にはかなり恵まれていた/いても、対人的・性格的な面で「どこか周縁化(marginalized)された人間であるという意識」を持っており、自分が納得いかない理由で叩かれている人々を見るとヒトゴトではない気になり、「ふざくんな!」と思ってしまうので、ミルクさんの話はドツボでした。それに、私自身は一応ストレートですが、もし妹・姉的な意味で物凄く好きな女の子から口説かれたら応えてしまうかも・・と思ったことがありますし、ゲイの友達からカミングアウトされた事もあるのでなおさら他人事ではありません。


私がアメリカに来たのはあの9/11からたった12日前の事でした。移民法的にはその前に来れたことが幸運といえば幸運でした。しかし精神的には、英語もまだロクに喋れず、18歳で、初めて見知らぬ国に立ち入る状況としてはキツイお出迎えでした。9/11が起きてまず衝撃だったのは、自分がテロに合う危険性ではなく、「またこういう歴史が繰り返されるんだ」「また我々は傷つけ合うのか」という、愚かな人類の一員としての絶望感でした(実際には9/11以前にも世界中で戦争は続いていたわけですが)。


更にはアメリカのヒステリックな愛国反応にも心底恐怖しました。私は今まで「行き過ぎた愛国心は危険だ」「平和的解決が第一だ」と教育されてきましたし、今もそう信じています。皮肉なことに、その信条の源は米国の対日本戦後政策からくるものでもあります(欧州の人と話すと、「米国人は本土で大規模被害にあったことがないから平和の尊さと戦争の罪がリアルにわからないんだ」という話になりますが、私はこれも一因だと思います)。そのアメリカで、「まるでここは大戦中のファシズム国家か?」と疑うような光景を目にしたのですから衝撃です。


自由と多様性を重んじるはずの国をして、そこら中に掲げられ、着用される星条旗に、『God Bless America』=アメリカ以外の国や民族を神は祝福せんのか?!という独善的な言葉の嵐。当時行っていた学校には、私にとてもよくしてくれた中東系の老紳士がいたのですが、彼がほどなくして星条旗バッジを付けるようになった事を思い出すと今でも涙が出ます・・。テロリストには同情しないとしても、同じ中東系として、アフガンを攻撃し、湾岸地域を散々混乱させて来たアメリカを、決して応援なんかしたくなかったでしょう・・。しかしきっと彼はその気持ちを押さえつけてでも、彼や家族の安全の為に、「私は敵じゃない」アピールをしなければいけなかったのでしょう。その心の痛みを考えると、私も胸が張り裂けそうになりました。後年、アジア学の授業で習ったのですが、じっさいあの時期多くの中東系の人々、いわんや「見かけが似ているだけ」でインド系の人まで、いわれのない暴力、差別、リンチによる殺害、火付け、公権力による嫌がらせ、強制家宅/社宅調査・強制連行・強制送還などに合ったそうです。


『ミルク』でも度々語られている事ですが、”マイノリティー”って結局なんなのかというと、それは実際にお金がない事でも、地位がないことでも、教育がないことでもない、本人自身の性質と関係なく、ヘタすると自分と国籍や人種や信条さえ関係ない「マジョリティー以外で○○に似てるという見かけ」や、「他の誰かがした犯罪の影響」や、「こういう事をするんじゃないかというイメージ」だけで、時には命を落とすレベルで差別を受けるという事なんです。


例えばアジア系アメリカ人史に残る有名な事件として、「日本車企業の進出&米国車企業の国外流出」で職を失ったデトロイトの白人親子が、中国系アメリカ人のヴィンセント・チンに「おまえらジャップのせいで」と言いがかりをつけ、公衆の面前でリンチ殺害した件があります。この時もミルク氏暗殺の件と同じように白人多勢の陪審員たちによって犯人は軽い年期で釈放され、彼らが被害者を日本人だと思い込んだ為に起こった(本当は気づいてたのかもしれませんが、日本人だったにせよ、完全に八つ当たりです)という理不尽さもあって、大きな波紋を呼んだケースです。この場合、ヴィンセント・チンくんがいかにアメリカ育ちのアメリカ人で、教養があって、英語が喋れても、アジア人という生まれと見かけだけで外国人扱いされていて、本人とは全然関係ないアジアの国への恨みでとばっちり受けるっていう事なんですよね。


話を911→アフガン戦争→イラク戦争勃発時(2001-2003)に戻すと、あるクラスで先生が「この武力行使が正当だと思う人は挙手してください」と言ったら、なんと驚くべきことに、クラスの半分、数にして2、30人くらいが「賛成」と言いました(比較的リベラルなはずのLAでですよ?!たぶん今同じ事をしたらこんな結果にはならないと信じますが・・)。私はそのクラスにいる事が恐くて気が狂いそうでした。


私は日本人で、日本人に見える外見で、ムスリムでもなく、今たまたまこの国の刃が向いてないだけですが、「それって”たまたま”向いてないだけで、このヒステリックな国はマジで何をするかわからない」という身の危険を感じました。それこそ日本人だって平井堅さんみたいな見かけの人だったら勘違いされるかもしれません・・ふざけた例えに聞こえるかもしれませんが、実際そういう事件が起こってる国なわけですから。


こんな人間なので、私はこの時期、LAやSFで行われる大規模な反戦デモなどには積極的に参加していました。しかし、逆にこんな人間だからこそ、世界情勢の事を考えたりすると何時間でも何週間でも落ち込んで何も手につかなくなってしまったり、授業のディスカッションでも戦争や迫害の話になると公衆の面前で号泣してしまったりしていました。アフガン反戦デモに参加し始めた当時は、「これだけのデモがあって欧州の批判も強いのでイラク戦争は避けられるのではないか」と少し期待もしていました。しかし、イラク戦争は結局始まり、長期化し、ブッシュ政権は存続するしで・・ヴィエトナム戦争史を学校の課題がてらに調べてみると、実際戦争が終わった理由は世論や反戦運動じゃなくてリソース的な限界だったからだけだっていうし、「世の中変えられないんじゃん!」という絶望感が強くなりました。


「もう真面目に政治とか考えてたら毎日落ち込み過ぎて日常生活が送れない・・!私が私の管理をまずしなければ、目の前の宿題とか家事とか誰がやってくれんの!世の中けっきょく変えられないのに、デモとか参加してる私は自分と価値観を共有してる人に会って安心したいだけなんじゃないの・・?!クソッ!私はガンジーキング牧師になれる器じゃないぜ!普通の幸せ犠牲にしてまで人生捧げられないぜ!わたし、意識的に政治から離れる事でしか私の日常を守れない!個人的に友人や家族を守るのも満足に出来ないのに、この痛みを憤りに変換して頑張れたのはこの3年間が限度だったぜ!」という気持ちに陥りました。


それで意識的に政治や国際情勢に無関心・・というか、ある程度、自分の政治マインドをオン/オフするようになりました。オンにする時は、論文やレポートを書く時、それに政治映画などを見る時です。論考の上では「リアルな戦場」ではなく、私の手に負える戦場であり、資料を集めて自分の意見をバックアップすればいいだけですから。それこそ反戦や、アメリカにおけるゲイ、南アジア〜中国におけるチベット人などを擁護するレポートを書いたりしました。現実には何も出来ない鬱憤もそこで晴らしていました・・。政治映画を見るとめちゃめちゃ奮い立ったり、落ち込んだりしますが、少なくとも作品自体は2時間くらいで終わるし、やっぱり心の底では関心があるのでついつい見てしまいます。今回の『ミルク』のように・・。


そんな絶望感行き詰まり野郎にとってミルクさんの言葉はいちいち胸に響きました。自分の選挙に負けたり、各州や都市のアンチゲイ法成立に対する反対キャンペーンに負けたり、急進的なプロモーションをして、「一夜では世の中変えられないんだから反感を買うより長期的な勝利を狙った方がいいよ」とアドバイスされる度に、「勝つ為だけにやってるんじゃないんだよ(It's not all about winning)」というミルクさん。


「我々は希望だけでは生きていけないことも知っている。しかし、希望のない人生には生きる価値がない」「自分が異常だとかいう風に扱われて、自分だけが孤独だと思い込まされて、希望を失っている人々に、僕みたいな人間がここにもいるって事を世間に知らしめることに意義があるんだよ。自分自身の為じゃない。自分の次の世代や今辛い思いをしている若者の為にやってるんだ。」「僕みたいな人間が当選されて、『もしかしたら未来にはより良い世界があるんだ』っていう希望を与えなければならない。(必ずしも今の世の中を変える事じゃなくて)希望をなくした人々に、希望を与える事に意義があるんだ」


「なんだこの言って貰いたかった言葉のオンパレードは・・!」とグサグサ刺さりました。そうですよね、実際私が志のある映画とかをついつい見てしまうのは「一人じゃない」って思いたかったから、そして希望を持ちたかったからなんですよね・・。でもそれで一種癒されてる自分は偽善者なのでは・・という気持ちにも苛まれているのですが・・。ミルクさんには死後30年越しの強烈な叱咤激励愛情パンチを受けた気がします。とりあえず小さな啓蒙活動として自分のとってるAsian American & Inter Ethnic Relationshipsという授業と関連が深いので、クラス全員と教授に「人権の為にマイノリティーが団結して戦うことのモデル例として(※ミルクさんはゲイだけでなくアジア系や黒人や労働者など全てのマイノリティー共闘での公民権政策を重視)、またヴィンセント・チンの例とも似ている事件(※マジョリティ属性の白人に暗殺され、加害者はシンパシーを感じたアンチゲイでコンサバな陪審員によって軽い刑ですまされる)なので観た方がいいですよ!」とレコメンメールを回しておきました。


あと、細かい所では、ミルクさんを暗殺することになるダン・ホワイトが「家族を守る苦しみが君には分からないだろ」みたいなことをミルクさんにいいますが、当のホワイトは最後までのうのうと家族と暮らしてて、Milkさんこそ「非差別者全てを自分の守るべき『家族』にしてしまったがために、2度も一番身近なパートナーを守れない苦しみを味わっている」ということにも滂沱の涙でした(※政治運動でいっぱいいっぱいのミルクさんは二人のパートナーを失います)。「ホワイト・・お前こそ分かってねえよ・・!ミルクさんやゲイの皆さんはまず、家族を持つ権利さえ社会から剥奪されてるの!そんでその権利を次の世代の人に与える為に、「家族に近い人」になりえた自分のパートナーさえ犠牲にして戦ってんの!おまえにその苦しみが分かるか!ばっきゃろー!」とスクリーンに向かって啖呵を切りたくなりました・・。


※皆様、お忙しい中超絶長くてすみません!思いの丈がほとばしってしまいました。最後まで読んで下さり本当に有り難うございます。これからも、アメリカ発の情報をストリーム→私経由でアメリカへ逆輸入させて頂きます!笑