今日も生きてる

人間の手が好き


人間の手が好きです。老若男女、一般的な美醜問わず、なんかいい。見ていて味わい深い。異性の好きなパーツ、色気やいとおしさを感じるという意味でも好きです。そんな思いもあって、高村光太郎の『手』がずっと好きです。日本史図表とか、国語の教科書によく載ってるあれです。私の教科書にも載ってて、しばしばじっとながめたり、その頁を指でなぞったりしたものです。今でもあの手の格好をまねするのが癖になっています。しょっちゅう真似しています。それくらい好きなのですが、まだ実物は見た事がありません。いつか見に行こうとは思っているんですけど、先延ばしになっています。でも触れないのが残念ですよね・・。美術品とかって本当はさわりたい。むかし、京都広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像に抱きついて逮捕された人がいたって聞いたことがあるんですけど、ものすごく気持ちわかるなーと思います。私も抱きついたり、ほおずりしたりしたい!・・手の話に戻るんですけど、自分はよく人に「手がきれいだ」と言われます。かなりの人数のひとに言われたことがあるので、客観的にいって美点といえるくらいは事実そうなのでしょう。うってかわって、ちょっと母はずんぐりむっくりな手をしているので、しみじみ私の手をみる機会があると、とてもいとおしそうに、うらやましそうに、「Eの手はきれいねー、いいわねえ」と言います。でも私は母の手を見ると、『風の谷のナウシカ』の「働き者のきれいな手」というのはきっとこういう手のことを言うんだ、といつも思うので、自分の「きれいな手」がすこし恥ずかしくなります。

高村光太郎の『手』の真似)