今日も生きてる

文化系トークラジオLife12/28/08「文化系大忘年会」放送レスその1(落語卒論の内容言及含む)


今回のLife更新は書きためたことが多いのでこまめに分けていくよー!年末年始の普通日記も書きたいのですが*1、しばしLife公式の更新タイミングに合わせてこちら優先でおつきあいくださいませ。
文化系トークラジオ Life: 2008/12/28 「文化系大忘年会2008」 アーカイブ


先に短いのからいこう!

  • Part3より、仲俣暁生さんの水村美苗問題問題:はてなで論争*2を見てたので「この話題キタコレー!」と思わず身を乗り出しました。個人的に思うところはかなりあるのですが、まだご本を読んでいないので大きな声(公開日記)では言えません!


Lorie Brauさんというアメリカの日本学者で落語研究本*3をつい最近出した方がいて、彼女が

    • 「江戸は初めての都市型市民文化が花開いた時代であり、この時代の文化が今の日本にとっての『伝統文化』と考えられる傾向が強い」
    • 「落語の需要は、江戸を心の故郷と感じる近代以降日本人の郷愁の念にある」
    • 「江戸・明治を舞台にした古典落語は、地方・田舎の民話に代わる、新しい近代都市人にとっての民話(フォークロア)として人々の心を打つ」(+Lifeトピック的には『地方を考える』で語られたように、いわゆる本当の森とか山とかに囲まれて、大規模チェーン店も何もなく、郊外含めた近代都市生活的なものに触れなかった田舎育ちの人ってのはもうどんどん少なくなってるわけで・・ていうこともふまえつつ、ってどんだけ私Lifeに洗脳されてますか!ええされてますよ!)


と書いていて非常に納得しました。落語を聞いていて「こういう人がいたらいいのにな」とか「こういう人になりたいな」とか、「そういう人がもうあまりいない」と感じている現代人だからこその希求なのではないか、という話を書いたりしました。「落語の魅力のひとつは過去の再現性」という話には大きく分けると二つの視点があって、1)堀井憲一郎さんが『落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書)』でいうところの「(ドラマとしての)落語自体が生き生きと過去の世界を再現している」という点と、2)「落語家本人が生きた見本として古典落語的世界の価値観を体現している」点なんですね。後者に関しては生き方の問題なので、新作・古典落語に問わずの話です。


2)に関しては

    • 落語家がいまどきには珍しい疑似家族的な徒弟制度に基づいた社会を生きている点
    • いまだに「上下関係が厳しいかわりに、『自分が昔上に育ててもらったから今度は自分が下を育てる』っていう制度がはっきり残っている(具体的に一番目上の人が電車賃から食費まで百円単位で必ずお金を出す、よその弟子がきても稽古をつけるなど)
    • いわゆる義理人情と粋を地でいく世界の価値観を落語家本人たちが維持しており、美談が数多くある


これらの点で、現代の落語ファンにとって落語と落語家は、単純に芸能が面白いとか巧いとか以上に、昔ながらの日本的価値観への望郷の念や憧れを抱くのではないかなと思います。特に、他の伝統芸能の主たる後継者が世襲なのに対して、落語家は世襲じゃないので、「自分とそんなに変わらないような一般人だった人が、アカの他人の師匠に惚れ込んで、自らも落語家という大きな共同体の一員になり、「疑似家族」を形成し、一種のストイシズムをもってその道を没入し、一生を捧ぐ姿」に、感動するんじゃないでしょうか。最近一番落語ファン以外の層にも売れた落語の本は立川談春師匠の『赤めだか』だと思うのですけど、その評を読むと、「師匠に惚れこんで修行する、こんな世界があるのかと感動した。自分には出来ないと思った。」っていう感想が結構多かったことからもこれを感じました。


加えて、他の伝統芸能継承者と違って、落語家さんはファンにとってとても庶民的で近しい存在なので、そのへんの「まるで過去のような世界を生きているけど同じような現代人で会いに行ける存在」っていうバランスがいいんじゃないでしょうか。逆に春風亭小朝師などは「歌舞伎などに比べて伝統芸能家として中途半端なところが落語はダメ」「歌舞伎はお客さんをハレの世界に持って行けるけど落語の演者なかなかそこまで出来てない」*4てなことを書いてましたけど、一部の落語家の極端なスター化と落語自体の伝統芸能化が行き過ぎて(というか、人気が落ちてからその後中途半端な伝統芸能化だけが残ってしまった)、ご近所芸能としての落語の役割が廃れたことが先の落語低迷期の一因だと考えているので、小朝師の言は一長一短だと思います。個人的にはそういう役割は立川談志師匠や小朝師みたいなホール落語会系スタープレイヤーが担当し、庶民的な人はそういう生き方をつらぬく、っていう多様な役割分担があった方が落語の生存率は高いと考えています。


また、落語ファンは、自分が落語家の世界に感化されて、前座さんとかの成長を(あたかも落語家たちと同じように)疑似家族的にとらえ、子供を見守るように応援し続け、ゆくゆくはお祝儀をあげたり、手ぬぐいをもらったり出来るという風に、落語界の特殊な様式に自分も乗っかって落語界の一端を担う、参加する事にも特別な喜びを感じるのではないでしょうか。


・・などなど、そんな事を卒論で書きました。わたしの中では「自分がここ2年間で没頭したもの」=『落語』と『文化系トークラジオLife』を掛け合わせた一大スペクタクル論文になるはずだったのですが、最後の方時間もページ数もつきてしまってLife要素は抑えることになってしまったんですよねー。

*1:帰国前後は多忙、そしてしばらくたつと長期休みが終わりレポを書き逃すといういつも陥りがちなパターンフラグ・・

*2:http://d.hatena.ne.jp/solar/20081111#p1

*3:Rakugo: The Popular Narrative Art of Japan (Harvard East Asian Monographs)

*4:苦悩する落語―二十一世紀へ向けての戦略 (カッパ・ブックス)