今日も生きてる

コミュニケーションの限界と私たちが他人である事についてよく考えてる


結局、精一杯言葉で何かを伝えようとしても自分の経験や知識(他人の経験ケーススタディ含む)を基にした例え話でしか気持ちとか提案を伝えられないし、憶測でしか判断できないよね、とかいうことをよく考えてる。また、私たちは他人なので、たとえ家族であろうと恋人であろうと友人であろうと、結局のところ他人の行動の全てを把握したり、共有したり、決定出来るわけではないので、もーもどかしいなっ!と思うことがよくある。なんつうか、それが他人との関係として、健全で、当たり前で、あるべき姿だって分かってはいるし、そうあるべきだって思ってるんだけど、「伝えられてない」「動かせない」ことに対するもどかしさが消えるわけじゃないし、「でも私の立場から出来るベストをつくしたい」とか、「出来ればこの気持ちや知識を全部脳の中から目に見える形であなたに見せたい」とかいう欲が消えるわけではない。


先日、サンフランシスコに住んでいた友人が日本に帰国する事になり、別れる事を承知でアメリカ人の彼氏と直前まで同棲していたのだが、最後の方、痴情のもつれから彼氏の方がかなり言動が危なくなってきていて、彼女が帰る数日間大変気をもんだ事があった。結局傷害沙汰などにはならずに帰国出来たから良かったのだけど、状況が酷くなってからぎりぎりになるまで、友人は周囲に相談せず、また日本にいる友人の家族が「そんなの、最後は絶対もめるから家を早めに出なさい」という忠告を聞かなかった。帰国5日前くらいになってやっと、「Emちゃんちょっと今日電話してもいい?彼氏ともめててさー」などというそこまで深刻ではない調子でメールが来たので、よくよく話を聞いてみると、彼氏さんは金銭問題で理不尽ないちゃもんをつけたり、突発的にキレて、友人に「おまえは精神異常者だ」とか「おまえは日本人だから○○」とか「おまえは金持ちの娘だから××」と言ったり、性的な罵詈雑言いったり、人としてそれ駄目でしょうレベルで危なくなっているので、「今すぐ逃げて!」と友人に吠えた。


「ちょっと!それで刺されたりとかパスポート盗まれて帰れなくされたりとかしたらどうするの!!!!そういう時はちゃんと人に相談しなさい!私もだけど、どれだけ今家族が心配してることか!特に恋愛沙汰とかで冷静な判断が自分で下せない時は人の忠告を聞かなきゃだめだよ!出発前の数日間うちに居候してても良かったのにさー!私今から飛行機チャーターしてKちゃんと彼氏の前に立ちはだかって、『ふざくんな!』つってぶん殴ってあげたいし、Kちゃんを無理矢理にでも連れて行きたいけど、現実問題それ物理的に無理があるし、大人として、個人として、そこまで介入するのどうなのって話だしさ。でも、今私がKちゃんのことをちゃんと説得できなくて、万が一のことがもし貴方にあったら私超後悔するわけですよ。明日起きて貴方が死んでたら私どうすればいいわけ?本当にどれだけ心配してるか見せられるもんなら見せたいくらいだよ。でもそれも無理じゃない?なので、どうにかこうやって言葉で分かってもらおうとしてるわけです。お願いだから、冷静になって、気を確かに持って、ちゃんと自分で自分を守って。今すぐにでも本当だったらタクシーでホテル行ってほしいけど、深夜2時だからな・・ダメ・・?うーん、今は彼落ち着いてるんだよね・・?自分の部屋に鍵もあるのね?じゃあとりあえず、もう今日はなるべく彼を刺激しないようにして、鍵かけてドアの前に大きい物置いて寝て、明日速攻ホテルか友達の家に移動してください。彼氏にはもうその後は接触せずに、連絡先も当然残さずに去るんだよ。あと明日また生存報告ください。」

次の日、彼女はちゃんと言われた通りにしてくれて、その後は無事友達の家で過ごして何事もなく日本に帰れたので良かった。彼女いわく、「私、ついつい付き合い長い人でも人に頼るの遠慮しちゃう所があるんだけど、あの日Emちゃんが本気で心配してくれてるのが分かったし、他の友達にも『なんでもっと早くから頼ってくれなかったの?』って言われたよ」とも。


だから、これは結果的には成功例よりの話なんだけど、同い年で、同性で、もうかれこれ5年くらい親密な付き合いを経過した友達でさえ、「あ、今のこれは、伝わったかな」ていうのが得られるには、かなり必死な「言葉と心と頭の運動」を要するわけで。がんじがらめにされてる中で、走って、登って、あがいて、もがいて、やっと辿りついた場所で通信電波入るようなね。その不自由さとハードルの高さを、誰かに何かを伝えようとする度にすごく感じる。分かり合えない、自分の思い通りにならない、共有できない、独立した他人同士だ。だけど、それでもできるだけ、誠意をつくしたい、あなたを知って、私の事も伝えて、必死こいて、愛をそそぎたい。こういう日記の文章とか書いてるときもそう思っている。


Lifeの内容に反応して、いかにも批判とか反感とか不快感を招きかねないような、いじめに関する話とかしてしまったので(文化系トークラジオLife10/26/08「ぼくたちの失敗学」放送レス1)、そういうコミュニケーションの難しさとかについて考えていた。たとえば、私はこのめぐみさんという方を投稿から知る限りの情報で弁護する立場をとったわけだけど、それも憶測による判断にしか過ぎないから、本当は独りよがりの正義感を持ったハタ迷惑なタイプの人だったかもしれなくて、いじめられてた子にしてみれば火に油をそそいで超迷惑だったかもしれないよね。それに、自分の個人的体験と絡めたわけだけど、「手前の状況とこちらの状況は違う」って言われたらまったく反論の余地はない。そういう自分がまったく間違ってる可能性っていうのは幾らでも想像出来る。それに上記のKちゃんに言った事とも似てるけど、私は結局哀しい思いをしてるめぐみさんのもとに走ってって抱きしめたりとか出来ないわけですよ。私が走ってって抱きしめることの有効性はともかくとして、ようは直接的に、具体的に助けられない無力さがあるし、痛みも変わってあげられないし、「感化」「説得」という形でその人の気持ちや行動を変える可能性があっても、実際に能動的に変わるのはその人自身でしかあり得ないという事です。でも、もしかしたら、これを読んだ誰かが何かを感じるかもしれないし、何かが残るかもしれないし、何か伝えられるかもしれない。そう思うので、書いているんです。少なくとも未来の私は自分の過去ログ大好きなので大事に読むしね!なんか伝わってますかね、これ!