今日も生きてる

ログの数だけ抱きしめて


インターネットと親密な人生を送っている人なら、ネットの中で「勝手に特別な人」が出来ていることは少なくないだろう。私にもそういう人が何人かいる。私的インターネットの光。まあ別にオフラインで好きになった人がたまたまインターネットやってた場合でも、その逆でも、入り口はどちらでもいい。私にとっては「ネットの人」も「友達」も同じ人間という認識しかない*1。とにかくすごく好きな人がインターネットを長期的にやっていて、過去ログがある場合の話。ある女の子の話。わたしはその女の子と個人的に会ったりお話し出来る立場にいる。たぶん、それって「友達」といってもいいのかな、と思う。知り合えたこと、おしゃべりできること、それが本当にうれしい。今も生きている彼女を思うと心強さに背筋が伸びる。彼女がいるこの世界はいない世界よりずっとワッタワンダフルワールドなのだ。


この文章があまりにストーカー臭すぎるので、一応ことわっておくけど、私は性的にこの女の子が好きなわけではない。別に彼女が恋愛感情を持ちうる異性であっても、自分と関わることでその人が幸せじゃなかったら嫌だ。私は恋愛的に好きだった人が結婚したり、彼女が出来たりする時などは、バカでピュアーで鈍感な振りをしてでも「すっごーい!マッジでー!すっごーい!おめでとー!」と全力で祝福したい方だ。最初は演技でもいい、疑われてもいい、だけどやり続ければ意外と騙しとおせる。自分の気持ちもマジでピースでハッピーで穏やかラブになってくる。相手が「あれー女の子の気持ちってやっぱりよくわかんないなー」くらいのボンクラであってくれればしめたものだ。「この子を傷つけちゃったかも」なんて思われるくらいなら、熱しやすく冷めやすい無邪気な子を全うしたい。私は一時の特別な人になるよりも、ずっと長く好きな人と関わりたい。逆に言えばそれだけ執着する方だとも思うし、ネット経由の付き合いはそんな自分に合っている。


閑話休題。彼女の話だ。
過去ログの中の彼女と今の彼女を比べると、強くなったなぁ、成長したなぁと思う。知る限り最古の彼女は15歳、今は23歳なので、変わっていて当前なのだけど、点と点が記録されていることで過程をひしひしと感じられる。そこに実際会って得た彼女に関する知識、仕草、声、顔、言葉、全部が合わさっていっそう尊く感じる。今はまぶしいばかりの人が、これだけ昔は自暴自棄になったり、毒づいたり、憂鬱になったり、悩んだり、それこそ体を壊したりして世界と戦っている姿を読むと、過去と現在の彼女を、ひとつながりの人間としていとおしく思う。彼女が書いた言葉のすべて、ログのすべて、15歳のきみも、16歳のきみも、17歳のきみも、18歳のきみも、19歳のきみも、20歳のきみも、21歳のきみも、22歳のきみも、23歳のきみも全部抱きしめたくなる。言葉は触れられない。君にも触れられない。それでもスクリーンの文字に思わず手を伸ばしたくなる。届かなくたっていい。元気に楽しく生きていてほしい。君に何かがあった時、そばにいるような距離じゃない。だけど君を守りたい。具体的に何をどうしてってわけじゃない。ただそこにわき上がる感情がそう言ってる。君の何もかもを端から端まで肯定したい。愛は祈りだ。僕は祈る。貴方よ、貴方よ、幸せであれ。

*1:「書き手が好き」、はあっても「サイトだけすき」という感覚は私の場合不可能に近い