今日も生きてる

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わたしの怖いこと


最近観た映画、『モンゴル』にも『バベル』にも砂漠または荒野*1を彷徨う場面が出て来るんだけど、思った事のひとつに、私はぜったい、辺境とか未開発国とか行きたくないと思う。「ちょー不便だしーケータイ電波入らないしー」とかそういう事ではなくて、もし何かあった時、その決断に責任持てないなって思うから。古くは映画『生きてこそ』の記憶とかが未だに生々しいけど、遭難死とかって壮絶すぎる。私だったらもし最初の被災から助かったとしても、飢え死にとか仲間割れで殺し合うとかいう事態が起こる前に自殺しそう。ハインリヒ・ハラーチベットの七年』を最近よんだけど、数年間遭難の危機と隣り合わせで亡命していたって体力的にも精神的にもすごすぎる*2


アフガン亡命作家カーレド・ホッセイニの小説を読んで、亡命も遭難・戦争とならんでしたくない体験だと思うようになった。それもあって、早く日本に帰りたいと思う。戦争に巻き込まれるとか考え過ぎだと思われるかもしれないけど、自分は実感としてそう思う。実際、911直後とかかなり危うい空気だった。中東の人が無実で捕まったり、暴行受けたりしたし、下手すると、ムスリムでさえないヒンズー系インド人とかでさえ見かけだけで差別された。同じような事が東洋人、そして日本人に起こらないとは限らない。現に大戦中は米国籍アメリカ生まれの日系人さえ血統という事実だけで迫害された。母国以外で政情不安な地域にあえていくというのも考えられない。紛争地域の事とかわりと日常的に考えているけど、ほんと戦争だけはいかんよと思う。心からおぞましいと思う。もし自分が戦争にいかなければならなくなって、その時自分に子供とかいなければ、自害してでも拒みたい。


戦争を体験してしまったり、大戦中の日系アメリカ人のように極端な差別の対象になったり、朝鮮のように国家が分断したり、亡命の身になったりするのって、突然おこるんだよ、実際ある人たちの身には起こったんだよって事を考えると本気で恐ろしくなる。だって、そういう体験をした人たちの小説とか読むと、直前まで、そんな歴史が変わるようなことがあると思っていない状態で、私たちみたく日常を暮らしている。そういう大事が起きなくても、人間、生きている限り、いつか死ぬのは変わらない。個人レベルの犯罪は時と場所を選ばないし、事故だって病気だってある。銃でも包丁でも人は殺せる。えんぴつでだって目くらい刺せる。「どんなに警戒したって自分の居る場所が死ぬ場所なんだよ」*3


それをふまえて、どうせならどこで誰とどうやって死にたいかを探すのが生きることじゃないかしら。天変地異にあったり、他殺されたり、っていうワーストケースシナリオを考えたとき、私は、それがどうせなら愛する故郷で、好きなものやひとに囲まれて死にたいと思う。単純計算上日本は治安もいいし、「差別だ格差だ」たってそれで殺されたりしないし、内戦も戦争の可能性も他の国に比べたらずっと少ない。子供とか伴侶がいたら、たぶん自分がどう死ぬかより、彼らを守りたいことが最優先だけど、今の所はいないので、自分の死に際を優先したい。子供のことを考えてもアメリカで子育てしたいとは思えない。最近、親がいつか死ぬのも怖い。でも、自分が親より先に死んで親を泣かす方がもっとずっと怖いから、それは立ち向かうしかないと思ってる。

*1:しかもバベルに出て来る荒野はアメリカ西海岸なのでヒトゴトじゃない!うちの地域では車でメキシコ国境に行く事はとてもポピュラーな小旅行なんだけど、アメリカの街と街の間ってほんとにああいう西部劇の世界みたいな砂漠なんだよね

*2:彼の場合、探検に行ってる時点で自業自得でもあるんだけど、冒険を楽しめる性格もすごい

*3:ロンドンは安全な都市だ』より

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