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意識的に映画を観る+読書

映画

近年自分でも悲しくなるくらい映画から遠ざかっていたので、積極的に映画を見ようと決め込んで過ごした冬休み。そうと決めたら極端に動きがちな私は、結局特番も含めて16タイトル見る事が出来ました。


数日前の日記で触れた『林家三平ものがたり』、『寝ずの番』、『花よりもなほ』、『ラブ・アクチュアリー』、『ナイロビの蜂』と『おかしな奴』に加えて、『ナイスの森』、『Vフォー・ヴェンデッタ』、『みんな誰かの愛しい人』、『ペイ・フォワード』、『X-MENファイナル・ディシジョン』『アメリカン・スプレンダー』(複数回目)、『8人の女たち』、"Comment je me suis dispute?... (ma vie sexuelle)"(仏:日本未公開)、『ミュンヘン』、"Pan's Labyrinth"(メキシコ:スペイン:アカデミーノミネート作品なので日本公開もたぶん今後される)。


ペイ・フォワード
[rakuten:book:11896202:detail]

地味ではあるし、エンディングとかもちょっと「あーはいはいそうなりますか」と映画としての作りは甘い感じなのだけど、コンセプトはとても考えさせられる良作。大筋や雰囲気的に『サイモン・バーチ』とか『ロレンツォのオイル』に似ている。


「人から助けられたら、その人にではなく、違う三人の人間を助けること」この思想は自分が自然と抱いて来た道徳観とかなりリンクするものがある。誰かに何か素晴らしいことをしてもらったとして、それを直接その人に返す機会がなかったとしても、誰か別の人に返せば、それは円を描いていく。人からの好意を甘んじて受け止めれば、自分もお返しをする理由が出来る。人から厚意を施されたら、下手に遠慮するよりも、お礼が出来るって喜んだほうがいいと思う。そうすれば、縁が流れて行く。


誰かを想う気持ちや熱は、それが伝えられなくても、存在そのものだけでも意義があると思う。それが言葉や形にされれば、もちろんその方がいいのだが、形無き状態であっても、心の中にあるのとないのでは違ってくると思う。意識すること。伝えること。影響し合う事。伝わらなくても、すくなくとも表明すること。


『V・フォー・ヴェンデッタ』がものすごく良かった。以下mixiに書いたこの日の感想を転載します。

Vフォー・ヴェンデッタ [DVD]

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Vフォー・ヴェンデッタ!!
うぉーーーーーーーーー!
久々に映画見た後キターーーーーーー!と思った。
でも巧く感想書けなさそうな類いの「キターーーー!」ですごい歯痒さも覚えるので、今とりあえず思いついたことを書いておく。


マトリックス製作チーム+主役にエージェント・スミス役のヒューゴ・ウィービング+ヒロインにナタリー・ポートマンという布陣。マトリックスより全然よかった。マトリックスではシナリオや人間演出に物足りなさを感じて、大風呂敷広げた割に不完全燃焼だった。きっと製作側もやり残した部分を思ってこういう作品にしたんじゃなかろうか。

人に薦められるかというと、シンボリズムとかを自前の想像力で繋げていけない人や政治とか歴史に興味がない人にはたぶんせいぜい秀作レベルの映画だと思う。フルに楽しむためにはガイ・フォークスの事など予備知識はあった方がいいかも(私は知らないで見たけど)。マトリックスほど難解じゃないし、単純に演技・演出が格好いいので70点以上とは皆思うだろうけども。私にとっては、時代風刺や人道的な問いかけを寓話でつつんで、エンターテインメントにしてしまうような作り手の心意気とスタイルの格好よさを含めて、「かっこいい映画」だった。


製作はアメリカ、原作はイギリスの漫画。思想的なものは一緒だけど、映画版に成るにあたって設定が結構変わっていて、改変後の世界設定は浦沢直樹の『20世紀少年』とかなり通ずる所がある。舞台は近未来イギリスがファシズム国家になったら、という設定でバイオテロが重要な要素としても出てくる。だから世界情勢とか知らなくても、想像力で補ってああいう漫画に感情移入出来る人ならおすすめ出来る。あとほんと単純に役者の演技が素晴らしい。主役のひとなんか全編ずっとフル仮面なのに、表情が見えるように見えるから。


以下追記:
各場面によって血のりで生々しく見せる人間の死と、CGで嘘っぽく見せる人間の死があるのは、監督が意図的に使い分けて対比させてると思う。『敵味方に別れていても同じ血を流す人間である事』と『理想のための暴力に流れる血は重みが違うのか』っていう事の問題提起ともつながってると思う。

なんかそういう細かいところをイチイチつっこんで「ココが好き!」って言ってまわれるベタボレ映画。朝食作ってるVとか登場シーンのVとかもいいし。ナタリー・ポートマンは最高にかわいいし、ヒューゴ・ウィービングは最強にかっこいい&いとおしい。でもヒューゴ・ウィービングの素顔は「映画の後に見てよかった・・」と思った。こういう男臭い顔はちょっと頂けないは、わたし・・。ダークヒーローはたまらんなー。『オペラ座の怪人』とか観ても絶対怪人と添い遂げたいって思ってしまう趣味です。
速攻で脚本とDVDを購入してしまいました。


ダークな男、といえば、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を読破しました。
百年の孤独 (1972年)
作者: ガブリエル・ガルシア・マルケス 訳:鼓直
出版社/メーカー: 新潮社
発売日: 1972/00
asin:B000J94DIM


超暗い。ちょう長い。でも意外とはまって一週間くらいで読んだ。パール・バックの『大地』を彷彿。ここでもやはり、アウレリャーノ・ブエンディーア大佐にちょっとキュンとする私でした。戦争に行く前のアウレリャーノが「子供の名前はアウレリャーノにすればいい」とかいってる飄々とした感じも好き。


1972年版には家系図がついてなかった(新版にはついてるらしい)ので、ネットで調べて手書きで書き写したものを参照しながら読みました。空想上の町マコンドに住むブエンディーア家の皆さんの7世代・100年余りに渡る物語です。7世代にも渡ってるのに男の子の名前が皆「ホセ」「アルカディオ」「アウレリャーノ」という名前の組み合わせなんです。アウレリャーノだけでも20人以上いるのでは(家系図)舞台のモデルは南米。あとアマランタ萌え。絶対アマランタに萌えたひとは他にもいるはず、と思って「アマランタ 萌え」で検索してみたらやっぱり他にもたくさんいた。だよな。


『大地』もそうだけど、『百年の孤独』とか外国の文学って、やっぱりどうしても登場人物に感情移入できない。でも当地の人達にとっては、私たちが日本の時代劇観る時、あれだけ生活風習が違っても結構感情移入できちゃうようなのと同じ感覚なのだろうか。そうなのだろうな。スタートレックに出てくる宇宙人くらいの距離を感じる。アメリカに住んでみてから英語圏の映画や音楽を見る目が全然変わったし。


他にも、冬休みの間いしいしんじの『ポーのはなし』、舞城王太郎熊の場所』を読みました。そしてこっそりやってるテキストサイトを更新*1
これでもまだやりたい事が全て出来たわけではないけど、有意義な休みであった。


さらに追記:おお、はまぞうはてなのアマゾンor楽天商品情報自動抽出ブログツール)使ったらなぜか、『百年の孤独』の著者が訳者のみになってますね。修正しました。

*1:わざわざ2、3回以上のクリックやら検索やらして見つけてくれたり、私に聞いてくれたりまでして、読んでくれたらとてもうれしいのだけれど、そこまでする程私自身に興味を持っていない人にたまたま気付かれると恥ずかしい、という気持ちでこっそりやっているところ