今日も生きてる

上野鈴本演芸場11月下席夜の部

〜お番組〜
(どうかと思う程途中から)
柳家紫文 粋曲
柳亭市馬 『雑俳』
翁家和楽社中 太神楽曲芸
柳家喬太郎 『錦の袈裟』

昨晩の疲れでお昼には起きたのに家でだらだらしてしまい、結局上野についたのは19:30ごろ。どうかと思う程途中から。
きょん師効果で客席9割埋まってるだけでなく、若い人多し。


紫文さんが四分の三くらい聞けたかな、というタイミングで入場。きょん師のファンは手練れ判定らしく、紫文さんはあまりやってないものを下ろして緊張しているらしい。長谷川平蔵じゃないものもやってらっしゃった。この寄席にしかありえない雰囲気がたまらんなあ・・。


私のメインも勿論主任のきょん師だったのですが、今日もきょん師はアッタンマイに申し分無く面白かったのですが・・・久々の落語に「パンチ」よりも「癒し」を求めていたわたしの心には市馬さんが!もとい、市馬アニキが!!!朗々と奏でられる心地よい音楽がわたしの耳に滑り込むと、清らかで温かい水が心のひだをやさしく洗い流すようで、胸に染みて染みてしょうがなかった。


市馬さんの落語は各所の配信で最近も聞けたのですが、やっぱり生は違う!!と心から思いました。『雑俳』だったので、途中まで『道灌』かな?『千早』かな?『一目上がり』?『つる』?どっちに転んでも道灌系の前座噺が聞ける!とわくわく。あえて巧い人の前座噺聞くのってファンとしては結構楽しみだったりする物で。

それで、これがすごく良かった。『雑俳』なんて筋やセリフ自体は大したものじゃないし、市馬さんだからイレゴトも何にもないんだけど、やっぱりいい人がやるとこんなにいいんだなぁと聞き惚れました。


落語の音楽的要素がたぶん当代随一に豊かな市馬さんですけども、もうひとつ希有にして素晴らしい部分だと思うのは、登場人物がなんとも仲良く見える所。これが見ていてとても心地よいのです。ともすれば夫婦や恋人の愛を描くことよりも、ご隠居とハっつあんの関係を表す方が、より直接的でない分難しい気がします。そういう気の置けない人間関係の温かみを出せるのも、そういった情感を具現化できる技術はもとより、それ以上に師匠の一本筋が通った人の良さありきなんだろうなあと想像します。