今日も生きてる

落語ファンは愉快だな


三遊亭円朝の命日(8/11)なので、友達から貰った談志『芝浜』の録画を記念に見ようかな、と思ったけどなんやかやしてたらまた遅くなってしまって明日の出ずっぱりに備えて諦めた今日このごろ。その替わり札止めの憂き目に会わない限り、明日の黒門亭で雲助師の圓朝作品を聞こうじゃないか。


最近いよいよ芸談本にはまっています。
そんなだからまだ取り込んだ関連知識が生温かくって黒門亭クイズも結構解けた次第。
以前にも書いた読書記録を含めてここ1ヶ月ほどで読んだ本、幾数冊。:


全身落語家読本 (新潮選書)

全身落語家読本 (新潮選書)

らくご小僧

らくご小僧

寄席おもしろ帖

寄席おもしろ帖

恋寄席通い―人気落語家9人に大接近!

恋寄席通い―人気落語家9人に大接近!



これでもかって程のエロ話としくじりの数々で笑わせておいて、圓生師への真摯な想いで泣かされます。情けなくって、愛おしくって、格好よくって、こんな人ってズルイわ。


落語論パートも勿論興味深いのですが、何しろ乙女脳なわたくし、数々の「あの時君は若かった」的発言に悶えました。
なかなか思う様に真打になれなくてライバル志ん朝・円楽に抜かされ、「小三治」は貰えない。それでもやっと真打ちになれてよっぽどうれしかったのだろう、と察せられるくだり。章自体のタイトルがそのままズバリ、「オレは真打ちだ!」そして文末の言葉が、

真打ちになってつくづくよかったと思っている。
十一年目だった。
オレは真打ちだ!と時折、一人でいってみる時がある。

ダーーーーこっちが恥ずかしくなっちゃうほど可愛い事言ってますよ!あのヒネクレジジイが!!もう!バカバカー!大好き!と思わず、本を閉じてベッドの上でじたばたしました。


ちなみに川柳本の方では円楽(当時「全生」)がなぜ一足先に真打ちにさせてもらったか、「そっち側」の内輪一悶着が説明されていて、歴史の本とかもそうですが、あっちこっちから同時代の出来事や人物を読むのが面白い。


しかも川柳さんの本読んで圓生師匠は本当に「〜げす」って言ってたんだなあーと思ってから、更にリアルタイムで圓丈師匠が真似する圓生師匠が「〜げす。てへへへっ!」と言っているのを偶然まくらで聞いたり。そんな風に遠くからちょっぴり「楽屋」を味合わせてもらうのは正にたまらなく「乙でげす」。


感慨深かったのは「落語論」を書いた当時の談志は、自分が実力・年季ともにあっても真打ちになれなかった苦渋を思って、「人気と実力は一概に計れないのだからよほど酷くなければ年代で真打にするべき」と書いている。皮肉ですねえ。


そして川柳本の方では。「落語協会会長として圓生師匠が真打ちの基準を厳しくし、二ツ目をあれだけ溜めて詰まらせなければ、逆に小さん会長下の大量真打ち昇進→圓生一門・立川流協会離脱もなかっただろう。」という旨の事が綴られていて、「圓生師匠は真打ちをゴールと考えていて、小さん師匠は真打ちをスタートだと考えていた」という一言。これは言い得て妙な一文です。


ところで、『現代落語論』では、「復活したらいいと思う落語家の名前」というのを列挙している部分があって、その中に「鈴々舎馬風」と「入船亭扇橋」があるんですよ。つまりあの本が書かれた当時、談志師匠の弟弟子、今の馬風師と扇橋師はまだ「かゑる」と「さん八」だった。そして、入船亭門下の方から以前、「扇橋師の名前は談志師匠が持って来た」という話を聞き、「そういえばあの人達は兄弟弟子の間柄なんだよなあ、イイ話聞いちゃった」と感慨深く思った事がありました。さらに、協会離脱前は家元と馬風師匠はとても仲良しの間柄だったと『談志が死んだ』で読んだので、これらの情報を統合すると、
結論:「馬風って名前を付けたのも多分談志師匠」なのだと推察するわけです。
なんかそれってすごくないですか。家元がいなかったら、「鈴々舎」も「入船亭」もなくて、皆「柳家」か「柳亭」なにがしだったのかもしれないと思うと、なんとも不思議な縁の巡り合わせを感じます。



花緑がナビする大人の落語ことはじめ

花緑がナビする大人の落語ことはじめ

これはタイミング的には『恋寄席』や『志らく本』よりも前に買ったんですけど、なんとなく昨日から読み始めて今日読み終わりました。『恋寄席』のインタビュー読んだ後の方が、各噺家さんの自伝的なものに「もっと知りたい」という興味が湧きました。
特に花緑さんが言及していた「悩んでた時代」の事が書いてあるものが読みたくて、だから今これが欲しいです。
僕が、落語を変える。

僕が、落語を変える。


本日は紀伊国屋とか行く時間なかったので、近所の書店でこれを買いました。

噺家いきつけの「安くて旨い乙な店」

噺家いきつけの「安くて旨い乙な店」

「寄席周辺の食べる所を紹介する本とか連載があったら絶対買うのに」ってずっと前から周りにも言ってたんだよね。夢が叶いました。明日あたりまんまと上野で使ってるかもしれません。うふふ。落語ファンの毎日はほんとうに豊かで楽しいなあ。聞きたい人や噺、それだけじゃなく、周辺文化に触発されて興味を抱くこと、やってみたい事、読みたい本などなど、増えて増えて、退屈する暇がありません。