立川志ら乃の噺三席
平成18年6月3日 於:朝日カルチャーセンター横浜(ルミネ横浜8階)
ーお番組ー
立川志ら乃 『狸』(『狸の札』)
<お仲入り>
- 「二ツ目昇進試験はどうでしたか?」
- 「早口ですよね?」
自他ともに認める『止まらない男』・立川志ら乃たっぷり!おもしろすぎる!アツすぎる!!またまた私も火がついちゃって一人ロッキンオンの読者レビューばりの長文感想語っちゃったよ・・!
この会のせいですごい面子をソデにしかけてますが、もうこんなもの見させられたら「きょんはく」をさしおいて東西噺家倶楽部に行っちゃいますよ!今私の心の中の『香盤』では<立川志ら乃>、すごいことになってるよ。今月は志らく師匠との被りもないし、皆勤賞するっきゃないっす。17日とかも物凄い強行ハシゴになる予定・・(広小路で志ら乃さん見て途中抜け→川崎で某二人会→広小路に戻って某独演会)。
いやー志ら乃さんには本当に参りました!
(次のハシゴが迫っていたので『火焔太鼓』が終わったとたん最前列で“半身”待機してすみません!)
ちなみに、今日の観客は年齢層が高く、予約申し込み時に年齢の欄を書いている参加者ウン十人の中で、なんと志ら乃さんより年下の人がたった2人しか居なかったとか。わたしが2分の1じゃないですか!
以下後日追記した感想です。
ネタはNHK演芸大賞に挑戦した時の三席を続けてやるということで『真田小僧』『狸の札』『火焔太鼓』。トークの時は高座を降りて立ちながら話す。「私は90分座って落語をやり続けてもいいんですけどね。うちの師匠もそうですが、私の落語は聞いてる方もあたっちゃうと言うか、疲れると思うので、お客様の方が90分持たないと思います」との言葉に、ホントだよ!と内心深い相づちをブンブン打つ私。
『真田小僧』『狸の札』は昔仕上げたものだからか、最近の志ら乃さんの芸風に比べるとくすぐり少なめで本寸法寄り。それでも十分笑いをとってました。
『真田小僧』は金坊がお父っつぁんを煽る芝居のうざったさが抜群によかった。志ら乃さんの女役をまともに聞いたのは多分初めてで、金坊のホラ話内での「色っぽいお上さん」の演技、なんだか見慣れなくて、くすぐったくて、ちょっとドギマギしてしまった。ちなみにこのネタ、放送コードにひっかかってる言葉があるのでNHK演芸大賞的にはどんなによくても落選だったらしい。
トークは期待通りに大炎上、お宝蔵出し!貴重な話ばっかり!
まずは落語家になったいきさつから。
昔からお笑い好きだったが当初落語はバカにしていた志ら乃さん。しかし浪人時代に『落語のピン』を見て衝撃を受け、『ピン』のビデオで見た落語を一言一句・一挙一動暗記するほど熱中、明大合格後は落語研究会へ。「明大の落語研究会は有名ですが、卒業生が偉いだけで今は・・・」この話はネットで書けません!
大学時代は発表会の度に志らくと談志の完コピをウリにして4年間やり続けたので、落語の憶え方としては『芸は模倣から始まる』をまっとうに実践した結果になったそうな。
「師匠の志らくや大師匠の談志に似ている時があるとよく言われますが、4年間もコピーしてたんだから当然なんです。」なるほど志ら乃さんの模倣力はそこで養われたのか!この話は後記する「衝撃!柳家な志ら乃」の話にも続くよ。
「骨格と発声は関係があるんですけど、私はエラが張ってて、これは噺家としては結構いい骨格らしいです。それで家元もエラが張ってて、そこへ来て私もモノマネが巧いので、「隠し子か?!」なんて冗談もありました」とさ。
そして志ら乃さん命名秘話。「お前の名前は・・志ら乃だ!」と志らく師匠自ら毛筆で名前を書き上げ、差し出された色紙にあったのは「志ら及」の文字!
「師匠、線が一本多いです、それでは<しらきゅう>ですよ」
「なにィ、及んでどうする!」
・・・だから志らく一門面白すぎるって!!もう!!大好き!
その後に無理矢理色紙を書き直してもらったので、ぐちゃぐちゃになってしまったが、大事にとってあるというイイ話。
師匠と映画祭に参加した時の珍事件。志ら乃さんの名前が女性っぽいという事で、何と主催者から「立川」という名字の夫婦だと思われ、ホテルに行ってみるとダブルベッドだったらしい。
「私と師匠の二人組を目の前にしてるのに『ご夫婦ですよね?』って言われたんですよ?どう考えてもおかしいでしょ!しかも、顔がそっくりな夫婦ってのはありますが、名前がそっくりな夫婦なんて聞いた事ない!」
変わって、「しくじった時は正直に謝るより面白い事を言わなければならない」という立川流らしいというか、志らく一門らしい話。
志らくさんが映画を撮った時。当時一番下の前座だった志ら乃さんは、「お前は仕事しなくていいから、とにかく師匠の側に居てガス抜きをしろ」との任を受け、師匠が機嫌を損ねる度に、面白いことを言って怒りを鎮める係だったそうだ。
この切り返しが実にマーーーーーーーベラス!!面白すぎる。日々こうやって志ら乃さんのアドリブ・くすぐり筋力は鍛えられていたのか・・と感嘆。
雑踏を撮影している時、自転車でやってきた兄弟子がカメラに気付かずに画面に入ってしまい、そのまま通行人として通り過ぎればよかったのだが、まずいことに丁度画面のド真ん中でカメラに気付き、何を思ったか肩に自転車をかついで後ずさりして去って行こうとした。不自然すぎる絵面なのでもちろん撮り直し。怒る師匠に志ら乃さんは言いました。
「師匠、兄さんは籠をかつぐ芝居の練習をしていたんです。」これには師匠もプッと吹き出し事なきを得る。
奇跡の切り返しエピソード2。夜、ひとけの無いシーンを撮影中、車が入って来ないようにある兄弟子が見張っていると、タクシーが来そうだったので「来ないで下さい」という意味で手を振った。が、むしろタクシーが集まってしまい、なんとその数合わせて7台!
また師匠から「なにやってんだ!○○○!!」とゲキが飛ぶと、ここは一つ師匠より激しく怒ってみたら、びっくりして向こうはひっこむんじゃないかと考えた志ら乃さん、ありったけの大声で
「何やってんですか兄さーん!!兄さんは白雪姫にでもなったつもりですか!七人の小人でも送るんですかーー!!」と叫び、スタッフは爆笑。師匠も剣幕に押され、「おい、志ら乃もう遅いんだから静かにな・・。」と逆に諭された。作戦成功!!
私が憶えてない話がまだ他にもあったかもしれないけど、憶えてるだけでもこれだけ喋ったのでもちろん時間はオセオセ。「二ツ目昇進試験の話もしようと思ったんですけど、早い所落語することにします」と『狸の札』へ。
派手な笑い所はないが、テンポよく、軽ーく、楽しく聞かせてくれる。狸がお札になった時「ああ!折っちゃだめだー!」とかいって狸を心配する男と借金取りの掛け合い、小狸との掛け合いにほのぼの。くすぐりでは「狸を気遣う男のたたみかけ」と「お札の裏に毛がびっしり」なのがよかった。あとこの噺でも、やっぱりなぜか口調が鯉昇さんにちょっと似ている。
休憩5分を挟んですぐ落語へ。
『火焔太鼓』、これはもうめまぐるしすぎて、一回聴いたくらいではどこが可笑しかったか記憶が定かじゃないという速さと情報量。超特急の快楽。前の2席と比べると明らかに「今の立川志ら乃」進化後のネタというのがよくわかる。
キャラクターでは志ら乃さんの「お侍さん」も初めてかも。男前でかっこいい!「許せよ」だけでかっこいい。
気の弱い旦那さんと剛毅な嫁さんとの掛け合いもいい味出してる。是非とも今後は厩火事も仕上げてくれ!旦那さんは頼まれさえしてもらえば家事やっちゃうし、お上さんは煙吸っちゃうんだもんね。お城脱出のシーンも派手派手でバカバカしくてサイコーです!
あと「僕ほこり取り太郎ー」って何!?こういうくすぐりは意外性にビンタされて多いにはまってしまう。志らく師匠『厩火事』のチンパン探偵しかり。
『狸』で落ちた時、「テレビでやる時はただ全部を速くやって時間を短くするんじゃなくて、盛り上げるポイントを搾らないと駄目だよ」と師匠からアドバイスを受けたので、あえて師匠の十八番の『火焔太鼓』をやったのは、賞をとることよりも、師匠へのメッセージだったそうだ。前座時代の噺でもひしひしと伝わってきたけど、志ら乃さんは本当に志らく師匠が好きで落語家になったのだなあという愛を強く感じる。
最後に軽く質問コーナー、のつもりが、出た質問は「二ツ目昇進試験の話をして下さい」と大ネタを注文され、結局してしまう。
知りもしない黒田節を当てずっぽうで踊ってしまった話は本で知っていたものの、やっぱり目の前で見るとうける(というかこの記事自体ネタバレ満載ですが、志ら乃さんから直接聞いたら絶対知ってても笑うって、と信頼しているから書きます!)。
何より衝撃的だったのは、家元の前でやったという「小さん風の落語」!!!普段の自分の芸風に近い、「元気がよくて派手な動き多くて」みたいな落語を先にやった人は家元に「ンーー、クサイね」と不評だった事もあり、なんと、「ほとんど動き無しでボソボソと喋る」という柳家正統派の小さんスタイルで演じたそうだ。
実際にやってくれた触りによると多分ネタは『道灌』で、もう完全に別人!でもすごいのが、これはこれでちゃんと巧いの!!!!!志ら乃さんは“こっち”も出来るのか!!!と、ほんっっっとに驚嘆した。びっくりしたのは私だけじゃないみたいで、なんと、あの家元立川談志をして、「そうだ!それが落語だ!俺の目の黒いうちはそれをやってろー!」と立ち上がって叫ばせたそうだ。またこの話をサゲる志ら乃さんの一言が鋭くて爆笑、だけど黒すぎるのでオフレコ!
すごい、すごいよ立川志ら乃!!!柳家小さんまで模倣できて、しかもそれで家元に「それが落語だ!」と言わせるなんて!本当に、柳家系としての立川流の写実性と、新しい立川流→志らく的イリュージョンの遺伝子イイトコどりじゃないですか。最近は談志一門会などで家元に聞かれる機会も増え、今の芸風でもわりと褒めてもらってるらしい。
次の質問は「滑らかな口調で大変よろしいんですが、私ら年寄りにはちょっと着いて行けない所があるのですが・・」、これには志ら乃さん本人も「そうなんです!これはもう毎回どこに行っても言われます。自分でも改善しなきゃいけない所と分かってはいるので、こういう率直な意見は有難いんですが・・・止まらないんです。ゆっくり聞かせる噺も出来る様にならなきゃいけないので、自分の課題として取り組んでるんですけど、これくらいかなーとお客さんに合わせてやると、なんだか自分の方では気持ちが悪くなってきちゃって・・来年やる時には改善してきます・・・あと一年待って下さい!」最後のこの一言で絶対お年寄りたちのハートをゲットしたな、きっと。
「まあ確かに人情噺とか出来ないし、お年寄りがついていけないのは問題だけど、常連ファンの私たちとしてはあの速さがヤミツキなんだよねえ」と後日ともだちと話したのも正直な所ですが、志らく師匠のように使い分けが出来るようになればいいですね。
とにかく、もう今日は、「立川志ら乃という落語家」を思いっきり堪能堪能また堪能。「見た」「聞いた」というより、「浴びた」「味わった」が合っている、これでもかというくらい濃厚な会でした。心から、やっぱり行って良かったわ。志ら乃さんが好きな人でこれを逃していたとしたら、その魚は大きすぎます。
落語上達の方法として、「とにかく沢山のいい落語を聞いて、いい映画を見て、いい本を読んで、いい芝居を見て・・とにかく勉強する事に限りますね」と言っていた志ら乃さんと、志らく一門会での志らく師匠がかぶる。
師匠は前座さんたちに「時間の使い方がなってない、稽古と勉強が足りない」と怒り、「「もう、一日3時間しか寝ないと決めるとかして。3時間しか寝ないの。ご飯を食べる、風呂に入る、本を読む、芝居を観る、映画を観る以外はずっと稽古をする。そういうことをしてごらん。」と言っていたからだ。
長過ぎるのでまるまるとは引用しないけど、6月号のかわら版インタビューで「努力しないやつはどんなに素質があってもいずれ出遅れていく。何らかの方法で動いてなければだめだ。必ず自分にあった方法があるんだ、ないとはいわせない。」と喜多八師匠が言っていたのも思い起こされる。
志ら乃さんが凄いのはセンスだけじゃなくて、あの素直な吸収力とバイタリティに裏打ちされた勉強量、そして何より「今この場にいるお客さんを持ってってやる」という、師匠にも通じる攻めの気迫だと実感。
たとえば柳家喬太郎を輩出した事がさん喬一門の「功績」の一つとして語られたり、志の輔・談春・志らくの存在が協会を抜けて立川流を開いた事の「意義」の一つとして語られるように、「立川志ら乃を産んだ志らく一門」と言われる日が来るんじゃないかしら、そんな夢さえ膨らむほど、立川志ら乃に惚れた一日でした。総領弟子のこしらさんをして、「これはもうずっと前から言ってるけど、おまえが志らく一門の看板だからな。」と見込まれただけあるね!