今日も生きてる

落語感想書きの苦悩


噺家さんのブログを読んだり、会ったときの発言を聞いたりして、この日記を書いてるのが「あの人だ」とバレている、の・か・な?と思う時があります。


「この人には確実に読まれてる」と私が気付いている、または「かもしれない」と思っているのに、向こうから直接そう聞いたわけではない場合、たいへん気まずいというか、き、気になるじゃない、どっちなのよ、もう、どっち!?ともやもやします。読んでるとしたら、できればこっそり教えてほしいです。


もちろん確実に読まれてるのを知ってる噺家さんもいますので、そういう意味ではいつ誰に読まれても失礼のないように、というのを心がけています。


昔はあまり意識してなかったので、素直に批判を書いたこともありましたが、後日反省して記述を改めたりもしています。これだけ見てればもちろん嫌いな噺家さんもいますし、好きな噺家さんでも今日はよくなかったなと思うことだってあります。


寄席では良かった人しか書かない、という事が出来ますが、まずいのは4人以下の会です。書かなかったらそれはそれで、書かない事が無言の感想となってしまう。そこは落語感想書き、腕の見せ所、くらいに思ってがんばります。


この場合最悪のパターンは「全員パッとしなかった」ですが、なまじ好きな噺家、とくに個人的な面識がある場合もつらいです。
好きだから、一定以上は楽しめるのですが、毎回「この人の事は基本的に好きなので」じゃ感想になりません。寄席だったらこっそり飛ばせますけど(笑)小さな会だったら無理。いちおう今まで行った会全部記録しているので、なんかそこだけ飛ばすのも嫌だしさ・・・難しいです。


特に困るのは噺が固まってるタイプの人。たとえ初回がよくても二回目以降は書く事がない。また単にお客さんとしても、「同じ噺は常に同じ噺の人」、そして「下ろしたての噺は仕上げる為に連続でかける人」これはなかなか「追っかけ」しにくいですね。好きだけどこのタイプの人だな、と思った噺家さんの事は、あんまりのべつには追っかけず、一度聞いたらしばらく間をおいて成長を見計らおうというのがいい距離感かな、思っております。そしてこの行為を私の中では「放流」と呼んでみたりして・・。


志らく一門はその点安心して毎回違うので(言い得て妙)、ついつい追っかけがいがあるのだな。特に志らく師匠ほど同じ噺を連続で聞いて楽しい人には、今だ出会ってませんな。