今日も生きてる

談志一門会

平成18年4月15日
於:前進座劇場

立川平林 『小町』(開口一番)
立川志遊 『狸賽』
立川文都 『胴乱幸助』

  • 仲入り-

立川談笑河内山宗俊
立川談志 『包丁』


あい、奇跡の補助席最前列、終演直後の叫びです。メモいっぱいに「幸せだー!」。

が、正直、談志師匠以外は不発だったので、家元のことだけ書きます。談笑さんとか今まで結構高打率なんだけどなぁ。知人の弁によれば談笑さんは今色々とやり慣れない話にも挑戦したりしてるから当たり外れが多いかも、とか。この前の『寿限無』のサゲによって、私の中で談笑さんの株が急上昇したので、またこれからに期待。


・今日の家元、噺以外にもその前後にたーっぷりお話をしてくれたので、本当に来た甲斐があったと満喫、満喫。
以下印象に残ったこと等。

・「談志のファンてのは、こっちがビックリするくらい何処にでもくるんだ。九州の田舎に噺をしに行って、『まさかここまで・・・また居るよ』なんてことがあるね。今度そういう奴と普通の客を分けて落語会しようかな、なんて思ったりする」
・老いと衰えに関してひとくさり。
「本当は前の二人だかを抜きにして、二席くらい一人でやりたいんだけどネェ。」「(ガリガリの腕を見せて)もう体力がねえんだ。昔から太ってるほうじゃないがね。」


・最前列にいた9歳の女の子に話しかけ、「おい、ちゃんと聞いてるか」とか「親に無理やり連れてこられても落語なんて意味わかんねぇだろうな。」とかなりたっぷりイジる。なんとか笑わせようと小噺をいくつかやる。他の客は大ウケなのだが、女の子には笑って貰えず「ごきげんをとろうとしたけどだめだね。」


・そして家元の落語、初聴き!
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー・・・・・・・。
単に巧いとか下手とか、面白いとか笑ったとかで計れない。
とにかく目を、耳を、空気に触れる肌を支配する存在感、そして脳裏にこびりつく一言、一言。
たとえば私が、「最近聞いた落語の中で一番よかった高座は?」と聞かれたら、
柳家さん喬師匠の『替わり目』」と答えられるけれど、それは相対評価の枠組みの中で他の噺家と比べられる次元で、という意味でもある。


家元は特別だ。
他と比べられない。
良いとか悪いとか一律の言葉や数値で評価できたら、それは恋ではないみたいに、目の前のこの人が喋り始めたら、一瞬にしてまるっと惚れてしまう。
否が応でも集中して、この人の言うこと、表情、全て聞き逃したくない、見逃したくない。
そういう問答無用の魅力、吸引力を持った人だと思うのだ。


・噺が終わって、また少し話してくれる。
「談志の『包丁』は珍しいってだけでね、談春なんかの方が巧いね」(←よく言うことらしい)
最後に、世の中また色んな酷いことが起こってて、でもそれが起こるってことは、一種求められてるというか、第三者として見る方は酷い酷いっていうけど、起こる事は一般大衆総体の表象でもある、みたいなことを話してた流れで、極上の一言を決める。


「人間が造って、壊して・・人間はしょうがないってことですね」
と云って、たっぷり間を取り、胸を打つこのセリフ。
「・・・落語でも聞くか。」
その言葉に応えるように観客、家元を中心に大きく包み込むような拍手。
家元、恥ずかしそうに照れ笑い。
キャーーーーーーーーー!
家元のこの顔、大好き!!!!


本当に、たっぷりたっぷり、書き切れないほどのお話を聞いて、改めて家元、好きだ・・!と思った。喋りながら、常に考えている、あの感じ。考えて、考えて、どんな答えにも安息し得ないような、あの感じ。「あーー・・・・」と、抜けるようなため息が出るほどかっこいい・・。


「何が正しく、何が価値あるものとされるのか。その問いに始点はあっても、安心して降り立つ事のできる終着点はどこにもない。 」
むかし自分が書いたそんな言葉を思い出す。
そんな風に考え続ける自分でありたいし、それをまっとうし、闘い続けている人を格好よく思うから。


家元に惚れ直して帰る道すがら、女のよろこびは恋心、ほわほわと幸せな気持ちでいっぱいでした。

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