今日も生きてる

発想 連想 八艘飛び

それが悲しいことでもうれしいことでも、それどころか学問や政治のことでも、自分とは関係のない他人の話でも、何かを真剣に考えるとどうしても泣きそうになってしまう。

きょうはいつになく考えごとがどばーっと氾濫をおこして
しじゅう「Majiで泣きそう5秒前」で喉のあたりが熱くなって苦しくなって、その上フランス語会話の授業で喋らなくちゃいけなかったから物理的に痛かった。

現在の落ちに落ちたフランス語力のヘタレさかげんで、周りが何を言っているのかついていけなくて、それがさらに喉をつまらせて、苦しかった。英語が分からなかったときの、あの認知心理的な「無音」の世界にあることの息苦しさを、久々に思い出した。

とにかく、今日はいろいろ考えた。
暗いとか悲しいことじゃない。
ただ単に真剣だというだけで、もうずっと泣きそうで嫌だ。
だから理論だとか討論だとかは好きじゃない。ちょっと考えることに本気になると、すぐに泣きそうになるから。それじゃあ話し合いににならない。
しかし、思考に捕われると夢中になってしまうし、それが一時の熱病のように去っていくのは、勿体ない気がして、急いで考えをカタチにして、どうにか言葉にして、書きたくなってしまってこの日記は長くなる。
我思う、ゆえに我あり、というやつか。
しかし今日のは無理だった。こういう時はとてもモヤモヤする。
ことばよ、どうか、つながってくれ。

メモ。

*Union Weeklyの話
えりかさんが言った「才能のある人は、個人的な存在証明の過程の中で無意識に社会を反映する」
"I'm talking to you guys, people who carrys the union weekly as your lunch-pal alone."
"lonliness as sickness" "desperated and separated" "I believe this is not completely useless and woth to be the common denominator for some population"
Eminem quotes: "I don't mean to be mean but that's all I can be is just me" "I don't know it's just the way I am" / "Everything you say is real, and I respect you, cause you tell it"

"there is no point in this writing, but it is just a personal shout, and a truthful reality some people might sympathize"


*批判と対立の話
弱い犬ほどよく吠える。そして吠えれば吠えるほど弱み(=ツッコミ所)を見せることになる。
ガンジー
「暴力は対抗的な暴力によって一掃されない。それは、一層大きな暴力を引き起こしてきただけである。けれども私は、非暴力ははるかに暴力にまさることを、敵を赦すことは敵を罰するより雄々しいことを信じている。」
「非暴力は決して弱者の武器として思いついたものではなく、この上もなく雄々しい心を持つ人の武器として思いついたものなのです」
「真に勇敢であれば、そこには敵意、怒り、不信などの入りこむ余地はありません」

差異化の論理。Self-Other: We are beautiful---They are ugly
強いものは他者を攻撃することによって差異化をする必要がない
他者を攻撃するものは自らの弱さ(=差異化の必要性)を晒す
いや、道徳に反するから弱みを見せるという問題なのか。

知性について
ソクラテスの「無知の知」を信じるならば、ほんとうに知性を求める人間は他者を否定したり、卑下したり、拒絶したりしない。科学する心には、なによりも誠意と謙虚さが必要だ。絶対的な正解はなく、「より良いこたえ」「より近いこたえ」「反証されてないこたえ」でなければ、それは科学的に間違ってる---理論の絶対条件

大人であることと知性的であること
ハスミ先生→さかもとさんのおしえ
「どんな相手でもお互いを教育しあうことを目指すという姿勢」おごらないこと。謙虚であること。勉強すること。
pちゃんの言ったこと。「今ここで私に何が起こっているか、きちんと話をしてくれる大人とだけつきあってきた。『大人になればわかる』なんて言うのはコミュニケーションを怠けているだけだと思う」
たしかに、ほんとうに頭のいい大人たちは、いつもわたしの話をきちんと聞いてくれた。

Eminemは他者を攻撃する。しかしかっこいい。堂々としている。望むと望まざるとに関わらず生じる責任を引き受ける。覚悟がある。けして被害者ヅラはしない。傷付かない。傷付いても、少なくとも「傷付いた」とはけして言わない。「ふざけんな」と言い続ける。永遠に戦い続ける。このへんはM.I.A.と同じ。
自分に厳しい。

しかし彼とかっこわるい人、「弱い犬ほどよく吠える」という人との違いはなんだろう。「自分かわいがり」の違いだろうか。けれどそれだけではガンジーの原則とつながらない。暴力とそうでないものを説明しなければいけないのか。そしてそれは勿論、物理的、非物理的の問題だけではない。どうすれば上手くつなげられるのか。無理なのか。むー。


ってもう午前4時か!あーーー寝なきゃ。

+また追記
免罪符に甘えてるひとはかっこわるい。でも、うまくいえない。